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デザイン・文・インタビュー:内田 麻衣子
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初めまして。現在アメリカのプロバスケットボール、NBA Golden State Warriorsのダンスチーム、Warrior Girlsに所属しております富田早苗です。幼い頃からの夢"NBAダンサーになりたい"と思い続けてきたことがやっとの思いで実現となり、その間のさまざまな出来事をこの機会を頂いて書かせて頂こうとおもい 短くまとめようと思っていました。しかし過去の出来事をたどっていくにつれて、またその時の心境を思い出していくにつれて、今後の自分のためにも、また読んで頂ける方にその時の様子をイメージしていただくためにも、思い出せる限り記そうと思いました。過去をたどればたどるほど、何も関係のない出来事にその時は見えても、今こうやって振り返ると全てがつながっていることに気付かされ、驚かされます。"やっぱり今までやってきたことは無駄ではなく、全てその過程だったんだぁ!"と書いていけばいくほど実感しました。日記のような感じになってしまいましたが、私の素直な気持ちです。初めから読んでいただければうれしく思います。

こんなに長くなってしまったことに大変申し訳ないと思っておりますと共に、自分を振り返るためにも、この機会が私にとってとても意味のあることだったと思い、この機会与えて頂きましたJINA 内田麻衣子さんに感謝致します。


――幼少の頃/アメリカへの興味

京都で生まれた私は、小さい頃は朝から外に出て一日中自転車を乗りまわしていたそうです。男の子のように活発な子でした。父がロータリークラブに所属していたこともあり、アメリカからの交換留学生が家に遊びに来ることもありました。この頃からでしょうか、日本以外の国に興味を持ったのは。当時幼稚園に通っていた私も、幼いながらも京都の伝統的な文化と、アメリカからの交換留学生が持つ雰囲気に何か違いを感じていたようです。"どうしてこの人たち(アメリカからの交換留学生)はこんなによく笑うんだろう""よくお喋りするんだろう""よく食べるんだろう""明るいんだろう"と、特に顔の表情に興味を持ったのを覚えています。 よほどインパクトがあったのか、この人たちが育った"アメリカ"ってどういう国なんだろう?と特に英語が話せるようになりたいというのではなく、人柄から出ている習慣の違いに興味を持ち、不思議に思いながらも、どんどん興味がふくれあがっていきました。


京都生まれ。国際基督教大学で社会学を専攻、在学中にUCLAで1年間留学。 1998-1999年まで、川崎市のReebok Japan Inc.でプロダクションアシスタント。 1999-2000年まで、NBA Japanでイベントアシスタントを務める、 2000-2001年、FIFAを務めるSports Marketing Japanでイベントオペレーションアシスタント。 2002年から、3年連続Golden State Warriorsでダンスチームを務める。 バークレー在住。

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小学校の頃になると、両親に"アメリカに行かせてほしい!"とお願いするも、真剣に受け止めてもらえず、またこの頃から洋楽にも興味を持ち始め、初めてレコードレンタルショップでフラッシュダンスで知られる"What a Feeling"ワムの"Freedom"、スティービーワンダーの"I just called to say I love you"を借り、父親に頼んで英語の歌詞を全てカタカナに直してもらって一人で歌っていたのを今でも覚えています。


――初めての留学/ゼロ

中学に入っても両親からのアメリカ行きの許可は得られませんでした。しかし両親も私のあまりにものしつこさと熱心さにあきらめたのか高校に入って初めてホームステイでアメリカへ留学させてもらいました。中学で英語を勉強したものの、いざアメリカに行ってみると話すことも聞き取ることもできず、全くゼロからの状態でした。今でも覚えています。初めて登校した日に、いきなりBiology(物理)のテストがある日でした。もちろんそんなことも何も知らず、でもみんなと同じようにテストを受けました。が、辞書は持っていたものの、何が何だかさっぱり分からず、テスト用紙に"I'm very sorry. I don't understand English."と一言書いて白紙で提出しました。数日後、そのクラスでは先生が全員の点数をみんなの前で読み上げながら返すのですが・・・・ "Sanae Tomita, Zero(0)"と言い、みんなの顔も見えないぐらいはずかしい思いでした。今となっては笑い話ですけれど。あの頃は特に高校の頃は何でも気にする、そういう時期だったので今でもそのことを鮮明に覚えています。


――Track/Cross Countryチーム/ダンスとの出会い

日本の高校のように一年間同じクラスメートと一緒に授業を受けるという環境とは違い、自分のレベルに応じたクラスを受けるという環境で年齢もさまざまなため、どうやって友達をつくろうか悩んでいたのを覚えています。その結果冬はTrack,夏はCross Countryのチームに入ることにしました。スポーツを通じて友達がつくれるんじゃないかと思ったからです。毎日の練習コースが違うため、英語が分からなかった私はみんなに一緒に付いて走らなければ迷子になってしまうので、必死に後を付いていきました。でもその結果、タイムも延び、レースでもいい結果を出せるようになりました。もちろん友達もできました。特にCross Countryでは忍耐力がつきました。レース中止めたければ自分の判断で足を止めることができます。自分との挑戦でもあり戦いです。私もレース中何度棄権しようかと思ったことか分かりません。でも最後まで走りきった時のあの達成感は口には言い表せられないものがありました。それと同時にその達成感が自分の自信にもつながっていったような気がします。 今思えば、たとえ私がやっているダンスとは内容が違っても、この経験があったからこそ今の私があるのかなぁ、と感じさせられます。

またそれとは別に、ホームステイをしていた私は、その頃は若かったということもあり、他の家庭で生活をすることの難しさや自分の自由な時間を持つことができないことなど、いろんな問題で悩んでいました。日本に帰りたいと思ったことも何度もありました。しかし、自分がどうしてもアメリカに行きたくて両親に無理を言って行かせてもらったこともあり、なかなか言えませんでした。そういうこともあってか、一人で何か楽しめる時間、場所を探していました。その時に出会ったのがダンス。自分の自由な時間をダンススクールで過ごしました。もしかしたら、この時からダンスがいつも自分を励ましてくれ、元気づけてくれると感じ始めたのかもしれません。


――大学生活&UCLA 一年間交換留学で受けた影響

大学は両親との約束で日本に戻り、東京にあるICU(国際基督教大学)に入学しました。実は高校の頃Track/Cross Countryに入部していたものの、ずっとチアリーダーに憧れていました。小さい頃、NBAゲームを見た時のNBAダンサーがとても印象的で、誰もが小さい頃抱く「・・・・...になりたい」夢が、私にとっては「NBAダンサーになりたい!」でした。しかし英語が分からず、また学校の花形であるチアリーダーの雰囲気に圧倒されてか、トライアウトを受けることにちゅうちょし、タイミングを逃してしまいました。そんなこともあり、チアリーディング部が大学の部活にあると知り迷わず入部しました。私の大学生活はほとんどチアリーディング生活と言ってもいいくらい、部活に没頭した毎日でした。高校の頃の個人スポーツとは違う、チームワークの大切さ、またダンスの楽しさをそれまで以上に感じました。また、私生活でいろいろな出来事があってもいつも部活、また部活以外に通っていたダンススクールに行きエネルギーをもらっていました。


――-UCLA交換留学

また大学生活の途中では、ICUからの交換留学プログラムに申し込み、運良く選ばれ、UCLAに一年間交換留学生として行きました。この一年は、寮生活を通して、またそこで出逢った人を通して、そして日本にはないクラスを受講することで、本当に学ぶことが多く、少し自分も成長したかな?と思った時期でもありました。私のICUでの専攻は社会学であるのにもかかわらず、まわりが見ればダンスの専攻ではないかと思うぐらい、インディアン、アフリカンダンスなど、各国のダンスクラスを受けました。この経験から、また違った角度からのダンス、"習慣や文化と結びついている何だか奥深いダンス"を見れたような気がします。


――-小さい頃の夢を思い起こさせたこと/UCLA ダンスチームオーディションに挑戦

また、スポーツの強いUCLAで、生徒は一団となって、まるで家族のように自分の学校を応援します。私も一緒になってバスケットボール、フットボールなど見に行き応援しました。そこで見たものは、スポーツ選手以外に、観客を盛り上げチームを応援するUCLAチアリーダー、ダンサーの姿でした。小さい頃にNBAゲームを見た時の気持ちと同じ感覚をその時覚えたことを今でも思い出します。

そんなことを意識しながら見ていたせいか、刺激を受け、UCLAダンスチームのオーディションを受ける決意をしました。ものすごい緊張でした。オーディションが一般公開だったこともあり、応援に同じ寮に住む友達が来てくれたのは本当にうれしかったです。結果はボードに合格者番号が発表されるのですが、残念ながら自分の番号を見つけることができませんでした。寮に歩きながら帰る途中では涙が出ました。寮に戻り、まるで妹のようにかわいがってくれた友達から、「今回の結果はだめだったけれども、でも本当に目指したいことがあれば、それに向かって努力してあきらめなければ、必ずいい結果が生まれるよ。」と泣いている私を抱きしめて言ってくれたことは今でも忘れません。その彼が今私の住むBerkeleyすぐそばに住み、オーケストラの一員としてチェロを弾いているなんて、本当にその頃は思ってもいなかったです。先月10月3日に彼の結婚式にも行ってきました。UCLA時代の友達全員が勢ぞろいし、reunionとなりうれしかったとともに当時を思い出しました。


――入社/影響を大きく受けた上司(Reebok Japan)

大学を卒業し、リーボックジャパンに入社しました。リーボックに入社したかった理由は、UCLAのスポーツを当時スポンサーしていたのがリーボックだったこともあり、いい印象があったからです。本当はそんな説得力のない理由ではいけないのかもしれませんが、自分のエネルギーを注げる場所がここ、と思ったのでしょう。マーケティング、あるいはアパレル部でどうしても働きたかったため、入社前にアルバイトすることができるかどうか依頼し働かせて頂きました。その効果があったのかは分かりませんが、マーケティングに配属され、全カテゴリー(バスケットボール、テニス、サッカー、フィットネス、ランニング、キッズ)のそれぞれの担当者をまとめる立場にあった当時の私の直属の上司(Mr. Oliver Takahashi)のアシスタントとして働かせて頂きました。またグラスルーツの規模の小さいイベントの企画、実施に携わったり、シューズのカタログをつくったり、幅広く勉強させて頂きました。


――当時の上司からの影響を受けた言葉

特に、私の直属の上司から学んだことは新入社員で入社した私にとって仕事面、そして精神面でも本当に助けられ、また勉強になりました。代理店を集めたマーケティングのミーティングでの彼のプレゼンテーションは本当に勉強になりました。人前での説得力のある話し方、目の強さ、声の大きさ、明確さ、前向きでその場の空気をよんで時々こぼすジョーク。厳しいと予想されたミーティングでも、いつも、いい方向にもっていき、その場の空気を変えるのを横で見ているだけでも勉強になりました。また、特に新入社員なら誰もが経験すると思うのですが、自分がやっていることが分からなくなってきたり、まわりからのプレッシャーや評価が気になったり、仕事場での人間関係で悩む時期がありました。その私の姿に素早く気づいたのか、上司は私に「今自分がやっていることがこの先の何に役立つか、何のためにやっていることかを考えると気持ちも楽になるし、やる気も沸いてくるよね!」と、さり気なく言ってくれた言葉なのですが、その言葉は今でも何かがあって同じ状況になる度に思い出す大切な言葉です。


――ダンスとは切り離せない生活

この頃も会社が終わるとそのまま直接ダンスに通い、自分でリーボックのシューズを履いて一人でも多くのリーボックファンをつくろうと心掛けていました。とても履きやすく、しかも素材もよかったので素直に広めたいと思っていました。"いいものはみんなに紹介してあげないと・・・・"とすぐ思ってしまうんですよね。またグラスルーツイベントでは、私の当時のダンスの先生を含んだ3人で、帽子からはじまってシューズまで全てリーボックのアパレルを着てイベントで踊らせて頂き、リーボックのプロモーションに自ら参加しました。今振り返ると、会社に入ってもダンスとは切り離せない生活をおくっていたんだなぁ、ということに気付かされます。


――影響を大きく受けた上司たち (NBA Japan)NBA Japan元社長、Mr. John Riceとの出会い

またその頃、もうすぐNBA ジャパンゲームが日本で行われるという情報を聞いていたのでぜひ見に行きたいと思い、インターネットでチケットの入手方法や値段を調べていました。すると同じタイミングで私に就職情報のメールが届きました。「NBAジャパンが、マーケティングに興味のある人、また今度行われるNBAジャパンゲームのアシスタントを探している」という内容の情報が。いやぁ、本当にびっくりしました。このタイミングで? と思い、これは何かのサインに違いない、といつも通りの私の直感で迷いもせずコンタクトをとりました。すると面接まで進み、面接ではまるでバスケットボール選手じゃないかと思うぐらいの長身のアメリカ人が部屋に入ってきました。日本人だとばかり思っていたので、選手なんだか、社長さんなのか分からない感じで少しちゅうちょしたのを覚えています。この彼(Mr. John Rice)が、これからの私の人生に大きな影響を及ぼす人になるとはその時は思ってもいませんでした。

ダンスにはもちろん興味があったものの、バスケットボールには正直言ってあまりなかったので、面接のためにも勉強しておかないと、と思い調べて少し知識を増やしていったのですが、そのようなことは全く聞かれず、"So・・・・ you graduated from Palos Verdes Peninsula High School, right? "から始まり、どんどんその話から盛り上がり、結局仕事の本題に入ったのはほんの数分でした。 というのは、当時のNBA Japan社長(Mr. John Rice)のフィアンセで現在妻である彼女と、私が同じ高校を卒業していたからです。この世の中にたくさんの高校がある中、本当にこんなこともあるんだな、と驚いたと同時にその時何かを感じざるを得なかったのも確かです。

NBA Japanでの採用が決まり、私はマーケティングのオペレーションのアシスタントとして働かせて頂くことになりました。ゲーム間近だったと言うこともあり、また日本と本社のあるアメリカ(ニューヨーク)との時差の関係上、毎日9:00am - 2:00am、時には5:00amぐらいまで、みんな本番まで大丈夫かな、と思わされる働きぶりでした。イベント直前のオフィスではどこでもそうだとは思いますが、しょっちゅう他のスタッフとの意見の違いなどでもめることがありました。でもそれも、"ゲームを少しでも盛り上げたい、盛り上げるにはどうしたらいいか"というアイデアの違いなどによる討論だったりで、とても前向きでポジティブな、何かもっと自分にできることがないかな、という気持ちを起こさせました。


――-Mr. John Rice, Mr. Hideki Hayashi(当時の直属の上司)ってどんな人ですか?

本当にこのNBAジャパンで出逢った元社長(Mr. John Rice)と、アシスタントをさせて頂いた私の直属の上司(Mr. Hideki Hayashi)から学んだことは数えきれないほどです。仕事はもちろん、人間としての大切さ、生き方を両親から以外にも教わった、そんな気がします。今の私がここにいるのも、この2人の影響が本当に大きかったことに今でも気付かされます。どんなに辛い時でも、観客のうれしそうな顔、東京ドームがNBAファンでいっぱいの姿、当日のイベントが成功することを想像すると"やらないと"という気分になるよね。と上司はいつ寝てるのかな、と思うぐらいの多忙の中、どんな時でも人の話を聞いてくれ、まわりの状況を把握し、本当なら私の方がもっと働かなければいけない立場にもかかわらず、"遅いからもう帰った方がいいよ"と何かを言うと"全然大丈夫、大丈夫、大丈夫!!!"と、大丈夫ではない時にでも言ってくれました。人間誰でも、やらなければならないことが増えるに従って、なかなか人のことにまで気を配れるようになるのは難しいと思います。どうしてそうなれるのかを聞いてみたいと思い聞きました。

"与えたられた環境で今できることを一生懸命に頑張っていれば、失敗したとしてもそれはしょうがないし、たとえ失敗してもそれで死ぬわけじゃないからね!"それを聞いたとたん、すぐに"確かに・・・・"と頷いてしまったのを覚えています。今ではこの言葉が私にとっての"Key Word"になっています。問題があってもそれがすごく"小さなこと"に思わせてくれます。

一方、元NBAジャパン社長(John)は、彼にとっても2年間の異国生活、しかもオフィスのトップというポジションの立場、またイベントの責任者という立場のプレッシャーや孤独感は相当なものだったと思います。表参道に当時オフィスがあったのですが、Johnが仕事のことでいっぱいいっぱいになったオフィスアワー終了後の彼の部屋に入ると、Johnの大好きなサルサ音楽がかかっていて、たまに踊っている姿を見かけました。また、深夜12:00am を過ぎて仕事がはかどらなかったりすると、六本木のクラブに私を連れて行き、1時間だけステージの真ん中で踊っているJohnを私はまわりでぼーっと眺めていました。会社のトップにはまるで見えない光景です。お酒を飲むわけでなく、たばこを吸うわけでもなく。1時間だけダンスでストレスを発散し、楽しんで、気持ち良くまた会社に戻って仕事に集中する。初めは本当に???という感じでしたが、何という自由で、でもモチベーションがある時に集中して仕事をする、効率的なやり方なんだろうと、見ているだけで勉強になり、とても影響を受けました。

また、"不可能"と周りが思うことを自ら選んで進んで行く、まるで崖っぷちに足の小指でバランスをとりながら立ち、どっちに転ぶか分からない状況にいつも自分を置く、そのチャレンジ精神とその信念の強さには誰もが驚きました。苦しみながらも楽しもうとし、それでもどこかで彼なりの自信や強い信念があるからこそ、最終的には不可能と思われていたことも可能にする、その根性、勇気、信念には本当に生きがいというものを感じさせてくれました。


――上司2人から学んだ大切なこと/忘れられない出来事

ここで、もう少し私が尊敬するNBAジャパンの上司2人(Mr. John Rice, Mr. Hideki Hayashi)について忘れられない出来事、また私がそこから学んだことを紹介したいと思います。

まずは会社トップ、Johnのお話。東京ドームのような大きな会場でジャパンゲームを行うということで、チケット販売が本当に最後まで心配でした。特に最上階の席です。どんなイベントでも観客がびっちり入っていた方がより盛り上がりますし、選手、スタッフ、観客、全ての人のモチベーションにもつながります。そこでJohnは何をしたかというと、自ら六本木のクラブをまわり、DJに混じってNBAジャパンゲームのアナウンスをしてゲームの紹介をし、チケットが欲しい人に提供したのです。すごい効果でした。ゲーム当日ここでチケットを得た人のセクションを見てみると、びっちりと埋まって盛り上がっていました。みんな来てくれていたのです。 自分の身近なところからでも、たとえ会社のトップという肩書きがあっても、彼にとってはそれは何も関係がなく、それよりもイベントが盛り上がるようにと、自らすすんでしかも楽しみながら行動していく姿を横で見ていました。"すごい人だなぁ"と思わされました。

次は直属の上司(Mr..Hideki Hayashi)のお話。イベント直前には分刻みでいろいろなミーティングや会場での最終打ち合わせがあります。体がいくつあっても足りない、そんな忙しさです。特に私の上司はオペレーション関係全てに携わっていたので、誰よりも忙しい人でした。本番のゲームを明日にひかえ、アメリカからNBA全体のトップ、コミッショナーのDavid Sternも来ていました。もちろん上司はコミッショナーとのミーティングがスケジュールに入っていることも知っていました。でも、そのコミッショナーとのミーティングをすっぽかしてしまったのです。行けなかった理由は、スケジュールが押し、同じ時間にボールボーイ(試合中、選手にタオルやドリンクを渡したり、コートにモップがけをする男の子たち)とのミーティングがあったためです。私もその場所にいました。どちらが大切か?上司にとってみると、みんながいてのNBAというスポーツイベントで、スタッフ全員が自分が与えられた役割を知っていなければならないし、心配することなく楽しくすすめてほしいという気持ちが強かったのだと思います。

後で本人に聞くと、"さすがにコミッショナーとのミーティングに参加できなかったことは、明日からのポジションがなくなってしまうことだと覚悟していたよ・・・・"と言っていました。しかし、辞めさせられるどころか、"今までにコミッショナーとのミーティングをすっぽかした人はいない"と今ではそれが有名な話となり、全体的な仕事ぶりも含め、更に彼に対する評価が上がったのは事実です。 本当にイベントが成功することを考えれば何が必要か?何が大切か?を特にこの2人から学んだ気がします。


――夢を実現させたいと思わせたJapan Game

当日の私の役割は、スケジュールのタイムマネージメントと、Sacramento Kings、Minnesota Timber Wolvesから選ばれて来たダンスチーム、そしてマスコットの担当として一緒に行動を共にしていました。初めは緊張していたのと忙しさで仕事ばかりに集中していたのですが、ゲームの途中から小さい頃NBAダンサーになることを夢見ていたことを思い出し、今その彼女たちのお世話をしているという身近さを肌で感じました。不思議な感覚でした。そしてそれが今度は"小さい頃からの自分の夢を実現させたい"という気持ちを更に強めさせていきました。 NBAジャパンゲームは大成功に終わり、自分でもNBAというスポーツの楽しさと魅力を再確認しました。


――初めてのNBAダンスチームオーディション(07/00 New Jersey Nets)

早速その夏2000年、New Jersey Netsのオーディションを受けに行きました。当時姉がNew Yorkに住んでいたこともあり、またリーボックの頃の同僚から、ある雑誌でNew Jersey Netsのダンスチームが紹介されているという話を聞き、タイミングが合ったのと、何にでも初めはあると思い、経験のためにと思い練習をして受けに行きました。その当時の自分の状態でのベストを尽くし運良く最終まで残ることができましたが、残念ながら最終選考で落ちてしまいました。 経験のために・・・・と初めから思って受けに行ったものの、やはり落ちると悔しいとういう感情が生まれ、それが受かりたい・・・・という強い思いに変わっていきました。


――働きながらダンスをする難しさ、2回目のオーディション(07/01 Houston Rockets)、そして決意

その後2002年World Cup TM を運営する会社に転職しました。もちろんNBAが好きな気持ちは変わらなかったのですが、スポーツマーケティングを違うスポーツで別の角度から見たいと思ったからです。本社がスイスにある為、スイスまでトレーニングに行かせて頂いたり、スポーツが違えばまた内容ももちろん違います。イベントの規模が大きければそれに伴ってかかわってくるクライアント、スポンサーも多くなり、まるでNBAの時とは規模が違い、初めは戸惑いを感じました。しかし、ここで働くスタッフの個性の豊かさ、明るさ、チームワークの良さ、モチベーションの高さにはこの環境にいるだけで勉強になりました。


―― Houston Rocketsオーディションの旅

こんなに環境のいい仕事場で、しかもやりがいのある仕事があったにもかかわらず、やはり自分の夢に対してあきらめきれず、仕事のスケジュールでダンスの練習に行くことができないことに不満を感じていました。それでも時間があればダンスに通い、2001年のNew Jersey Netsのオーディションから1年がたった7月、Houston Rocketsのダンスチームのオーディションを受けに行きました。どうしてHouston Rocketsかというと、会社から頂いた休暇がその期間しか取れず、NBAダンスチームのオディションを受けられるチームがHouston Rocketsに限られたためです。


――-Houston Rockets(H.R.)オーディション前の心境

体のコンディションを整えるためにも、オーディションが行われる場所を前もって見ておくためにも何日か前に行きました。また帰りの飛行機のチケットは最終まで残ってほしいという強い思い、また一番いい結果になるであろうという願いを込めて、最終日に合わせたチケットを購入しました。

友達の知り合いの場所に泊めて頂き、それだけでも心強くまた感謝の気持ちでいっぱいでした。しかし、それでもアメリカには何度も行っているとは言え、知らない土地に1人で行くのは不安になるものです。孤独にもなりました。知らない土地、知らない人、オーディション、とう3つが重なって何とも言えない、何だか自分の本当の弱さを知らされたような孤独、そして何だか間違ったことをしているような不安におそわれたのを今でもはっきりと覚えています。そのせいか、食べ物が何一つ喉に通らず、でも食べなければ体力がなくなってしまう。どうにかして口に何か入れなければ、と思い、ストロベリー、バナナ、ミルクなどを混ぜたスムージーを無理に飲んでいました。それ以上に悩んだのが、不眠症になり一睡もできない日が3日連続続き、体は疲れているはずなのに緊張からなのか疲れを感じさせない変なエネルギーがあり、自分の体をこんなに心配したことはありませんでした。両親に電話をしたくても、あまりダンスを続ける私の安定しない生活をいつも心配し、またこのオーディションを受けることにもあまり賛成ではなかった両親に、またこの時点で電話をしてしまうと、優しい両親の声に耐えきれずに泣き出してしまうのではないかと思い、オーディション全てが終わってから電話しようと決めました。


――H.R. オーディション初日

本番のオーディションの日を迎えました。早朝にもかかわらず泊まらせて頂いている友達に会場までおくってもらいました。"Good luck and have fun!!!"と言ってくれ、まだ会って1週間もたってないのにその表情と言葉にとてもあたたかさを感じました。

オーディションは、その前の年に受けたNew Jersey Netsの時と同じように行われました。初めにJazzテクニックが入ったルーティーンから始まり、15分程度で覚え、練習し、早速審査員10人を前に第一次審査です。3人ずつ審査員の前で披露します。終わると同時にパスした人だけにカードが渡され、次の審査に進むことができます。カードが渡されなかった人は"Thanks for coming"と言われ、その場で会場を退場しなければなりません。 一次審査に合格したからと言って喜んではいられません。すぐに一次審査で披露したものにに少し付け加えられたルーティーンの第二次審査が始まります。この辺りから会場の空気がごろっと変わりました。更に緊張感が増しました。同じように3人ずつの演技でパスをした人にはカードが渡されます。2次もカードをもらうことができました。更にまた全く同じことが第三次審査でも行われました。3枚目のカードも獲得しました。これで終わりかと思うとまだまだオーディションは続きます。また更にそのルーティーンに新しい振りが加わった第四次審査。次に何が行われるのか予想できないことと、常に集中、緊張していることで体が疲れてきているのが分かりました。でもここからがもしかしたら勝負なのかな、と思い、できる限り疲れを見せないよう、集中するよう自分に言い聞かせました。そのかいがあってか、四次審査も合格することができました。

朝8時にスタートしたオーディションはこの時点で午後1時をまわっていました。もう体は休憩を求めていましたが、その後も通過者はHip Hopの振りを覚え、それからやっとお昼に入りました。もちろんこの1時間のブレイクは昼食をとり、体を休める時間です。しかし、昼食後すぐに第五次審査が行われることを知り、どうして休めるでしょうか。日本から持ってきたチョコレート味のカロリーメイトとポカリスエットを少し口にして、昼食時間も窓ガラスに映る自分の姿を見ながら練習に集中しました。アメリカ人と比べると体が小さいため、振り覚えと同時にどうしたら体の動きを大きく見せられるか、どの部分が一番気に入っていて、どうやったら他と差をつけられるかも考えました。

第五次審査。私の順番がやってきました。初めはよかったものの、途中から一瞬にして真っ白になり振りが全部とんでしまいました。もうだめだと一瞬にして思ってしまいました。それでも自分の一番好きなパートがまだ残っていたのでそこだけでもと思い最後まで踊りました。踊り終えた後は力がガクッと抜けてしまいました。このオーディションもここまでだな、と思い結果の発表を何も期待せずに聞いていました。すると私の番号が発表されたのです!驚きました。うれしさを隠せなかったのですが、またすぐに第六次審査が始まり、気持ちをまた切り替えることに。もう本当に体がクタクタで足がガクガク、のどはカラカラ。緊張感だけで体がもっているようなものでした。この審査で今日は最後かもしれないから頑張らないと!と何度も自分に言い聞かせました。ふー、六次審査合格。予想通り今日のオーディションはこれで終わりということで、時計を見ると午後8時をまわっていました。午前8時から始まった、ながーいオーディションの1日がようやく終わりました。

しかし全体的なオーディションはまだ終わったわけではありません。2日後にインタビュー、その次の日には最終のダンスオーディションが待っていました。インタビューまでの2日間は、家の鏡を見ながらもう一度丁寧に見直し、またフリースタイルを披露する最終審査のためにも練習しました。またインタビューで何を聞かれるのか分からなくても、自分の考えをしっかり持っていようと、自分で質問をつくり声に出して答える練習。またチームについても少し勉強しました。


――H.R. 面接前のハプニング/面接

インタビュー当日はタクシーでRocktsのオフィスまで行きました。しかし到着したのは2分前。危ない。充分に時間に余裕を持ってタクシーをあらかじめ頼んでおいたにもかかわらず、待っても待っても来ないためこのままでは遅れてしまうと思い、地図を片手に大通りに出てタクシーをひろおうと・・・・なかなか見つからず・・・・やっと見つかった頃には30分前で、あまりにも走り回ったせいか、靴も泥だらけで・・・・もう泣きそうな状態でした。

インタビューはリラックスした雰囲気で楽しかったですが、質問はどんどんビザに集中してくるようになりました。どんな質問がきても大きな問題ごとのようにとらえられないように心掛けました。ここで、去年のオーディションも含めて、ビザの問題は私にとってとても大きな問題であり壁であることを改めて強く感じさせられることになりました。もちろんチームの立場になって考えると、ビザの問題でリスクを負ったり、そのためにいろいろな書類上の仕事が加わるとなると、それなら現地の人を・・・・となるのも、悔しいですがとても理解できます。 少し気になるインタビューでしたが、気にしてもどうしようもないので気持ちを入れ替えようと、明日の最終ダンス審査に集中するようにしました。自信が持てる表情がつくれるよう、とことん練習。あとは本番を待つだけです。


――H.R. 最終ダンスオーディション

次の日の月曜日、6:00pmからオーディションは始まりました。ファイナリスト全員が自信に満ちた顔に見えました。緊張感がある雰囲気とプレッシャーに弱い私はあんなに練習したにもかかわらず、その雰囲気に圧倒されてか不安になっていました。それでもまわりをあまり見ないように、自分に集中しようと必死に言い聞かせました。私の番です。5人グループになって披露します。私のグループには5人中4人もベテランRocketsダンサーが含まれていたので、よっぽど頑張らないと・・・・と思い全力を尽くしました。

今までで最高のできだと自分で思いました。まわりではけっこう間違っているのがちらっと見えたので"もしかしたら大丈夫かも・・・・"という思いが頭を横切りました。やっと全てのオーディションプロセスが終わると、"あなたのことを真剣に考えるわ"とディレクター自ら私のところへ来て言ってくれました。そんなことを予想していなかった私はうれしさと合格する可能性が高いのでは・・・・という期待でいっぱいのまま次の日に日本に帰りました。帰りの飛行機の中では、つい一週間前の、オーディションを受ける前の飛行機の中での気持ちを思い出していました。帰りの飛行機では、行きのあの緊張や不安な気持ちは全くなく、精一杯頑張ったと言える満足感があり、何とも言えないうれしさでした。


――H.R. オーディションの結果/それから考えさせられたこと

さて、次の日から会社に戻り現実の生活です。会社では私がいない間大変迷惑をかけたものの、みんなとても応援してくれていました。オーディション結果が出るといわれる日の2週間は本当に毎日が緊張でそのことを考える度にキューっとお腹が痛くなりました。結局結果が出るまでには一か月近くかかったのですが、時間差があるため、日本時間の夜中合格者番号が発表される電話番号に国際電話をかけました。私の番号はありませんでした。何度も電話をかけ直し確かめました。が、やっぱりありません・・・・合格すると強く信じていたのと、ダンスディレクターがオーディションで私に言ってくれた言葉を思い出すととても複雑な気持ちでたまりませんでした。それと同時に結の原因をどうしても確かめたく、また今後の自分のためにも知っておいた方がいいと思い手紙を書くことにしました。その後すぐに返事はこなかったものの、数カ月後にやはりビザの問題やHoustonでの働き場所など、生活していく上での問題が心配され、またそれが問題だということを指摘されました。インタビューの時に感じた不安が、もちろんそれだけが原因だとは思いませんが、これが結果に影響していたことも事実として受け止めました。ではこれからどうしたらいいのか? オーディションを受けることはできないのか? 受けても無駄なのか? そんな疑問が私を苦しくしました。でも悩んでいても何も始まらない、自分の夢に近づこうとするというのは決して簡単なことではないし、むしろすんなりとうまくいく方がまれなのであって、たとえビザは常に問題の種になるとしても、それで自分が小さい頃から夢見てそれに頑張ってきたことや希望を壊されたくない、必ず何でも解決策や方法があるはずだおと思い直しました。

心配すればするほど、そのことに何だか時間とエネルギーを注いでいるようで、考える時は何か問題が起こってからにしようと、でも解決策やアイデアは頭に入れておこうと思うようになりました。ひらきなおることで自分を前に押し進めていたような気がします。


――会社を辞める決意

ワールドカップが近づくにつれて、もちろん仕事も忙しくなりました。仕事のキャリアを考えると、会社で経験させて頂いていたことに何の不満もなく、ないどころか自分にとって最高に恵まれた環境でした。しかし2年のNBAダンスチームのオーディションの結果、そして小さい頃からの夢をどうしてもあきらめることができず、また今持っている自分の中のエネルギー、モチベーション、タイミング全てを考えて、果たしてワールドカップ終了後には今と同じ姿の自分がいるだろうか? 考えました。その結果、1年後に行われる次のオーディションでは自分がベストな状態で、仕事があるからダンスに行けないとういのではなく、"ここまで頑張った"と自分自身に自信を持って言える状態で望みたいという強い思いがあることを認識しました。もしそれで残念な結果に終わったとしても、それはそれで受け入れることにしようと思い、ワールドカップを迎えないまま会社を辞めることを決意しました。

普段なら会社を辞める前に両親に相談するのですが、安定した生活をしてほしいと常に願っていた両親に相談しても反対されるのが分かっていたので何も言わずに辞めました。自分の答えがここまではっきりしていて、心配しているがために反対する両親の意見を聞いて判断するのは自分にストップをかけているようで、今は自分に正直になることが大切だと思ったからです。 ダンスだけの貧乏生活


――ダンススクール探し

さて、ここから私の1年間のダンスだけの生活、貧乏生活が始まりました。東京にあるBDC(ブロードウェイダンセンター)に月曜日から日曜日まで毎日通いました。今までダンスは常に私を元気づけ励ましてくれ、またいつもエネルギーをもらっていたので、私にとってダンスは精神的な面で特に助けられたものでした。しかしオーディションはもちろんそんなに甘くありません。いろいろなダンステクニックが求められます。今まではただ単にダンスを楽しんできたものの、本格的にダンステクニックを習ったりということは今までなかったため、きちんと厳しく教えてもらえる所へ行こうと思い、いろいろ探し歩きクラスを見学した結果、東京にあるBDC(ブロードウェイダンセンター)に行くことに決めました。BDCはちょっと(かなり?)私が今まで通っていたダンススクールとは雰囲気、空気が違いました。初めて見学に行った時も"果たして中に入ってもいいのかな?"と思わせるぐらいの緊張感がありました。先生の表情も真剣で厳しく、生徒の表情はそれに増して真剣でした。もちろんみんな楽しんでいるのでしょうが、楽しんでいるというよりは、それぞれ何か目標があって、それに向かって真剣に、また一緒に踊っているおとなり同士もライバルというような感じに見えました。今までとはまるで違います。オーディションでもそうだったように、緊張感のある私の苦手な雰囲気の環境だったため、見学した日からちょっと不安になってしまいました。"果たしてここに1年間通うことができるだろうか?"一瞬考えました。しかし通った方がいいということは自分でも充分分かっていました。実行するのが恐かっただけです。しかし、できないことがあるからこそ習いに行くのであって、今はどんな恥ずかしい思いをしても本番ではないからどんどん恥をかいて少しでもうまくならないと・・・・。ということに気づき気持ちを入れ替えました。


――BDCでのトレーニング/知らないことだらけ

次の日から早速通い始めました。気持ちを入れ替えたものの、着くまでにもうすでに緊張している自分に気づきました。ビギナーのテクニッククラスを受けることにしました。クラスに入ってもとても静かで誰一人話していません。どうやらクラスで踊るそれぞれの場所(立ち位置)も暗黙の了解のように見えました。先生がクラスに入り始まりました。大学でのチアリーディング、高校での陸上部でかなり鍛えられた私の体は柔軟性が求められるダンサーの体とはまるで違いました。言われた通りに体の部分部分を意識してストレッチしても、そこにある筋肉が邪魔をして思うようにできず、ストレッチしているというよりは、冷や汗が出てくるほどあまりにも痛くて本当に先が思いやられる思いでした。クラスではほとんどをストレッチの時間にかけ、残りの時間はテクニック、振りの入ったコンビネーションを教わりました。クラス終了後は漠然とぼーっとしてしまいました。まるでダンスとは何も関連していない、全く初めてのものを習ったようで、"ゼロ(0)"の状態に戻された感じでした。高校の頃初めてアメリカへ行った時、少しは分かると思っていた英語が全く伝わらずに同じようにゼロ(0)からの状態だった時を思い出しました。 これだけ知らないことを、この1年間で果たしてどれだけ学べるだろうか? 今まで知らなかった分、これからやらなければいけないことがたくさんあることへのプレッシャーや不安が、状況は同じであるのに、NBAダンサーになる夢が少し遠くなった気がしました。 しかし落ち込んでばかりはいられず、時間がある限りいろんなクラスを見学して、自分の好きなダンススタイルの先生を探しました。1クラスごとに受講料を支払うため、働くことを辞めてしまった私には厳しい状況でした。好きなクラス全部を受けることができません。"見学することも勉強"と思い、1日2?3クラスは実際に受けるようにして体で覚える努力をし、見学の時はもっと目でいろんな角度から見るように心掛けました。


――どんな時でも"NBA, NBA"と口にして・・・・

しかし、まだスクールの緊張した環境に慣れることができず、クラスに向かうまでの時間、電車の中、歩いている時は、自分の気持ちを最高に高め、モチベーションを上げるように努力しました。時にはグロンサンなどの栄養ドリンク剤を飲んで"飲んだら大丈夫!"と思い、気合いを入れて行くこともありました。本当に自分が単純な性格だということに気付かされます。それでも、どんな時も" NBA"" NBA"と自分に言い聞かせると、どんなことをして気持ちを高めるよりも気合いが入り、やる気が出ました。いつもバスケットボールコートの上に立つ自分を想像していました。

通っているうちに、初めに感じた不安や緊張がなくなり、逆に目標を持って真剣に取り組む生徒と一緒に踊ることでもっと気合いが入り、その空気がが楽しくなってきました。先生も真剣な表情で厳しく注意します。初めはちょっとビクビクしていたものの、注意してもらえることのありがたさ、またうまくなってほしいから注意してくれることの気持ちがストレートに伝わりました。先生によってスタイルや考え方は違うものの、ダンスを愛しているということ、生徒にもっとうまくなってほしいという真剣さとエネルギーはどの先生も共通していました。だから生徒もどんどんまわりから集まるんだと思いました。また、BDCでは常に外国から先生がが教えに来るため、また違うダンスを実際に見て学ぶことができます。ダンスを学ぶものにとってはとてもいい環境で刺激を受けました。特に見せ方や表現力に関してはとても勉強になり、私の場合オーディションがアメリカで行われるため、少しでも本番の環境に近付けようと外国人講師のクラスをできるだけ受けることを心掛けていました。

-1年間のダンス生活が終わろうとしていた頃の心境/オーディションを目の前にして 会社を辞めてから7月初めにオーディションを受けるまでの約1年間、風邪以外の日を除いて毎日、2002年World Cup TM が開催され、東京の町中が青いユニフォームを来て日本を応援する人でにぎわい、知らない人同士がハイファイブするという、何とも日本ではめずらしい、でも美しい姿を見ながらも、私はBDCへと毎日向かいました。そして辞めた会社を、スタッフを思い出しながら、イベントがうまくいくことを願っていました。 まだまだ完璧でなく、魅力のあるダンサーを見る度に自分の実力のなさを感じました。しかしこの1年間、自分が想像する以上に努力した自分、精一杯頑張ったと自信を持って言えた自分がいたことに、まだオーディション前であったにもかかわらず、正直にうれしかったです。たとえもし、オーディションの結果がだめだとしても、自分を責めようとせずに結果を素直に受け入れようと思いました。

ただ、今回のオーディションにたった1つの目標を決めることにしました。その場所の環境を"楽しもう"と。過去2年のオーディションの経験はやはり無駄だったのではなく、その中から学んだことはたくさんあります。が、思い出してみると"合格したい!"という気持ちが強すぎてそれが逆に顔に表れていたのかな、と今振り返ると思います。誰でも緊張すると表情が厳しくなったり恐くなったり、もちろん怒っているわけではないのですが、"楽しむ"ことを忘れがちです。まさに私がそうでした。でも、もしかしたらこれこそが一番大切なものではないか、とういうことに気づき、オーディションではできる限り緊張しないで楽しもうと心に誓いました。

全てのNBAチームのオーディション情報はインターネットで調べ、" Sanae 2002 NBA Dance Team Audition Trip"のスケジュールを組みました。どのチームももちろん最終選考まで進むことを想定してです。できるだけ西海岸のチームを希望はしていたものの、今回は受けられるチーム全て挑戦しようという覚悟、意気込みでした。が、最後にオーディションが行われる予定のチームまで行かずに決まってくれればどんなにいいだろう、という気持ちは確かにありました。期待、不安が入り交じった気持ちでいっぱいになりながらスケジュールをいつも持ち歩き眺めていました。

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【関連リンク】
富田早苗さんの所属するオークランドのNBAチーム、ゴールデン・ステイト・ウォリアーズのダンスチーム
富田早苗さんにメールを送りたい方はinfo@jinaonline.orgまで

   JINAから世界で活躍中の”真・国際人”を紹介   ▼バックナンバー▼
1.2002年茂森 政さん障害者の用寄宿舎をバークレーに 2.2003年7月7日中山潤さん本場英国のアロマテラピスト資格を持ちNYで活躍のアロマテラピスト
3.2003年7月12日YUKIKO SATOさんNYでおしゃれなテサゲバッグを販売 4.2003年7月13日藤田理麻さん絵本を持たない国の子供達のために絵本を作って寄付する機関を設立
5.2003年7月19日MAX桐島さんハリウッドで活躍する映画プロデューサー 6.2003年7月26日MICHI YAMATOさんロサンゼルスでヒーロー・アクション・スクール設立
7.2003年7月29日宮崎さおりさんA&PIWCでテストカウンセラーとしてアジア・太平洋諸島コミュニティーに貢献 8.2003年7月27日中村ホームス知子さんLAで活躍するアロマセラピラピスト/フロ−リスト
9.2003年7月26日小野沢昭志さんシアトルで自転車会社Sidetrak,Inc設立,アマゾンへ冒険を続ける 10.2003年8月2日中村健吾さんニューヨークで活躍するジャズベーシスト
11.2003年8月24日丸山 裕子さんロサンゼルスで活躍するジャズピアニスト・作曲・編曲家 12.2003年8月31日Jay Deaiさんロサンジェルスで不動産業に従事
13.2003年8月24日美津子CANNONさんChiQ Healing Artsのセラピストとしてロサンゼルスで活躍 14.2003年8月17日松島めみさんロサンゼルスで指笛奏者として活躍
15.2003年9月8日井上 陽介さんニューヨークで活動するジャズベーシスト 16.2003年9月11日師範 出村文男サンタアナ糸東流空手玄武会総本部会長
17.2003年9月13日鶴亀彰さん在米35年、日米のハイテク企業の国際化を支援する企業をLAで設立、今年新たに世界1周旅行を試みる 18.2003年9月6日飯島真理さんロサンジェルスで活動の音楽家&女優
19.2003年9月18日トーマイタルさんパワーリフティングの元世界チャンピオンで現在セラピストとして活躍 20.2003年9月24日アーク佐野さんロサンゼルスで活躍するジャズピアニスト
21.2003年9月29日加藤典子さん墨絵アーティストとしてアメリカで個展をする 22.2003年9月30日KEIZO TSUKADAさんフィラデリフィアでファーニチャーデザイナーとして活躍
23.2003年10月1日藤森久仁さんロサンジェルスでプログラマーとして活躍 24.2003年10月5日Bill Crowley落語家
25.2003年10月8日藤井郷子さん日本とアメリカで活躍するジャズピアニスト 26.2003年10月15日Christine Rosander ジャズボーカリスト
27.2003年10月18日河合将介さん駐在員を引退後LAでライター、ボランティア活動などセカンドライフをエンジョイ 28.2003年10月19日下浩子さん1999年にONNA.COMを起業し、現在JINAのCEOをつとめる女性起業家
29.2003年10月23日射手園達一さんアメリカで起業する方のための「一旗会」を創設 30.2003年10月30日デイ多佳子さんアメリカで活躍する女性作家
31.2003年11月1日西村昭二さんロサンジェルスで和道流空手道を教える 32.2003年11月4 日外間真清さんハワイ生まれ日系二世の元牧師、夢を抱いて日本からやって来る若者の人情下宿を経営
33.2003年11月9日森 泰人さんスウェーデンで活躍するジャズベーシスト 34.2003年11月10 日ANDY 松田さん寿司学校(Sushi Chef Institute)をLAリトルトーキョーに開校
35.2003年11月11日相原勇さんNY在住の女優・マルチタレント 36.2003年11月13日新倉勝美先生気・呼吸法で癌を治療
37.2003年11月14日堀場 聡夫さんロサンジェルスで音楽の機材を販売する会社を起業 38.2003年11月25 日高田直子さんマリンバ奏者
39.2003年11月27日倉本利夫さん少林寺拳法ハリウッド支部長 40.2003年11月27日羽方美穂子さんニューヨーク美術カレッジに留学中のイラストレーター
41.2003年11月28日やまだ ゆみこさんロサンジェルス在住の漫画家 42.2003年12月16 日トモ藤田さんバークリー音学大学ギター科の助教授
43.2003年12月19日きーじーさん車イスで世界50ヶ国を旅する 44.2003年12月25 日ヨシ天尾さんニューヨークで活動する俳優・武道家
45.2004年1月6日加賀崎雅子さんロサンゼルスの日本語ミニコミ誌「 ブリッジ USA.」編集長 46.2004年1月8日渋谷朋子さん西アフリカで教育関係に携わる
47.2004年1月10日Chieko Yoshimotoさんナース・コンサルタント 48.2004年1月20日 本田 興申さんロサンジェルスで真向法を教えている
49.2004年1月22日SEKUS ROBAのLun*na Menohさんミュージシャン 50.2004年2月9日 RAYKOさんロックバンドDIG JELLY
51.2004年2月10日 菊池好文さんアパレル会社をLAで起業 52.2004年2月12日 MARY ROSEさんコスチュームデザイナー、エミー賞理事メンバー
53.2004年2月13日 野田直人さん国際協力事業団派遣専門家としてセネガルで活躍中 54.2004年2月17日 MINAKO SOMIYA FOTIさん看護婦歴35年
55.2004年2月18日 Sammy Briggsさん倉本先生の元で少林寺拳法拳法を習うLAPDの警察官 56.2004年2月20日 NORIKOさんキーボードリスト&作曲家
57.2004年2月22日 福田YUKIさんナバホインディアンと生活をともにしたこともあり、インディアンと日本の交流に貢献されている 58.2004年2月23日 市川江津子さんシアトルで活躍するアーティスト
59.2004年2月25日 中村佐恵美さんハリウッドで活躍する女優 60.2004年2月26日 伊比 恵子さん元ミス日本、1999年のアカデミー賞の最優秀短編ドキュメンタリー賞受賞、監督
61.2004年3月8日 林 龍介さんパリで巨匠ピーター・リンドバーグの第一アシスタントを務める写真家 62.2004年3月9日 早川千晶さんケニア・ナイロビ在住のライター
63.2004年3月10日 美智子パンピアンさん世界の平和をうたうWorld Peace Project for Children創設者 64.2004年3月16日 マイク伊藤さんブランソンでカントリーミュージック
65.2004年3月17日 片山武彦さんビバリーヒルズで歯科技工士 66.2004年3月20日 溝口弘恵さん作家「ハーレム日記」
67.2004年3月22日 Mike BarretteさんXbox game artist 68.2004年4月7日 Jason YuさんTechnology Instructure
69.2004年4月10日 藤原敏江さんサンフランシスコでダンサー 70.2004年5月4日 神戸俊平さんケニア在住。獣医師・NGOとして、野生動物保護・象牙取引反対運動・環境問題・エイズ問題などに取り組む
71.2004年5月8日 中村かおりさんシアトルでバレリーナ 72.2004年5月12日 キウイア悦美さん日本にいながらケニャ・タンザニアに二十数年通い、WEBサイトを運営
73.2004年5月13日 知香子パワーズさんハワイ在住、コーディネーター、ダイビングインストラクター、ボディセラピスト 74.2004年5月15日 新間美也さん調香師として日本とパリを往復する
75.2004年5月16日 大川ミセさんパリ在住のOL作家 76.2004年5月24日 藤井仁美さんイギリスに住む日本人獣医であり、ペットの行動カウンセラー
77.2004年5月25日 Tony Cortina倉本先生の元で少林寺拳法拳法を習うSWAT 78.2004年5月26日 三浦たつこ さんLA在住のクロスカルチャーコンサルタント
79.2004年5月28日 永松真紀さん年間300日以上は世界中を旅しているケニア在住、添乗員ツアーコーディネーター 80.2004年6月1日 高松良幸さんロサンジェルスで弁護士として活躍
81.2004年6月7日 Yoshiko McFarlandさんサンフランシスコ在住で地球語を広めている 82.2004年6月9日 斎藤幸喜さんCA、NY、日本で公認会計士の資格を持ち、会計事務所を起業
83.2004年6月12日 飯盛敦博さんシンガポールで起業、SOHOアジアを設立 84.2004年6月27日 入江健二さんリトルトーキョー入江診療所
85.2004年7月16日 Michael Mullins倉本先生の元で少林寺拳法拳法を習うLAPD 86.2004年7月20日 幸泉久子さん医学博士
87.2004年7月21日 JOEY CARBONE多くのJPOPを手がけるプロデューサー、作曲家 88.2004年7月30日 二城永子さんハリウッドで活躍するモデル・女優
89.2004年8月11日 すずきじゅんいちさん映画監督 90.2004年8月19日 Michelle Hartさん日本に10年すんでいたハリウッドで活躍する作曲家・プロデューサー
91.2004年8月24日 大見和宏さんUCLAで活躍されている研究者 92.2004年8月27日 大森憲治さんタンザニアのレンジャーに留学ツアーガイドや撮影コーディネーター、キリマンジャロ登山ガイド
93.2004年9月9日 Yoshi OkamotoさんメルローズでHIPHOPのお店を経営 94.2004年9月22日 水野 穣さんロサンゼルスで商社勤めから思い切って起業、そして成功
95.2004年9月25日 柴田武次さん教育者そして画家 96.2004年10月8日 キャズ・カワゾエさん作家・技術通訳
97.2004年10月10日 トシコ・ムトー さん
LA在住の漫画家で「小さな恋人」の作者
98.2004年11月9日 渡辺啓子さんNY在住画家&画廊オーナー
99.2004年11月19日 鈴木弘子 さん
日本人初、プロアメリカンフットボール選手
100.2004年11月24日 富田早苗さん3年連続オークランドのNBA、ゴールデン・ステイト・ウォリアーズのダンスチーム
101.2004年11月30日 愛場美和さん
LA在住女性起業家
102.2004年12月13日 古見直子さんNYでアニメ業界のマーケティングリサーチ
103.2004年12月24日 慧岳夢中さん
SF在住の僧侶、シェフ、アーティスト、ヒーラー
104.2005年1月28日 吉川マルヒナ陽子さん NYで活躍するベリーダンサー
105.2005年2月10日 トシ・カサイさん
LA在住サウンドエンジニア
106.2005年2月20日 木村基子さん NY在住の『笑っていいとも!』の元プロデューサー
107.2005年3月1日 弦本將裕さん
個性心理學研究所所長(動物占い創始者)
108.2005年3月18日 Sammy Fujimakiさん LA在住の元ギタープレイヤー、ウェブ・デザイナー
109.2005年3月25日 山口憲和さん
LA在住のHRコンサルタント、専門は人事制度設計
110.2005年3月28日 渡辺千賀さん シリコンバレーでコンサルティング会社を起業
111.2005年3月29日 田上 潤さん
シドニー在住の写真家・グラフィックデザイナー
112.2005年4月25日 松田暁博さん シリコンバレーで半導体の設計を手がけるエンジニア
113.2005年5月7日 上野隆博さん
NY在住のソロ・パントマイムダンサー
114.2005年5月15日 Maco Nishidaさん SF在住画家、版画家、ハンドヒーラー
115.2005年5月25日 小澤 智子さん
UCSFで脳腫瘍のリサーチをする脳外科医
116.2005年6月1日 土屋 美佐子さん LA在住の Certified Alexander Technique teacher、Tai Chi、Qi Gong
117.2005年6月8日 本宮陽子さん
NY在住のグラフィックアーティスト/版画家
118.2005年9月7日 戸谷茂山さん アメリカの建設業界でコンストラクション・マネジメントを手がける
119.2005年9月12日 長谷川和美さん
ABAサンノゼスカイロケッツのオーナー
120.2005年10月7日 鶴田育子さん 文筆家/カウンセラー
121.2007年5月31日 松本大輔先生
大山空手 松本道場
122.2007年5月31日 Mika Somaさん LA在住アーティスト
123.2007年6月11日 YOHEI OTSUKAさん
LA在住起業家
124.2007年7月9日 HIDEMIさん NY在住陶芸家
   知られざる偉人
朝鮮戦争の中1万人の傷ついた戦争孤児たちを救援した一兵卒・・ジョージF.ドレイク博士
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パワフルなアマゾンの薬草ウンニャ・デ・ガト・・信じられないほどの即効力
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   ●特集●氣・呼吸法でヒーリング  新倉勝美先生
2004年4月16日にニューヨーク国連本部ビルにて国連職員の為のクラブ(UNSRC Enlightenment Society)の一環として行われた新倉先生の氣のワークショップ

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