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| デザイン・文・インタビュー:内田 麻衣子 | ||
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初めまして。現在アメリカのプロバスケットボール、NBA Golden State Warriorsのダンスチーム、Warrior Girlsに所属しております富田早苗です。幼い頃からの夢"NBAダンサーになりたい"と思い続けてきたことがやっとの思いで実現となり、その間のさまざまな出来事をこの機会を頂いて書かせて頂こうとおもい 短くまとめようと思っていました。しかし過去の出来事をたどっていくにつれて、またその時の心境を思い出していくにつれて、今後の自分のためにも、また読んで頂ける方にその時の様子をイメージしていただくためにも、思い出せる限り記そうと思いました。過去をたどればたどるほど、何も関係のない出来事にその時は見えても、今こうやって振り返ると全てがつながっていることに気付かされ、驚かされます。"やっぱり今までやってきたことは無駄ではなく、全てその過程だったんだぁ!"と書いていけばいくほど実感しました。日記のような感じになってしまいましたが、私の素直な気持ちです。初めから読んでいただければうれしく思います。 こんなに長くなってしまったことに大変申し訳ないと思っておりますと共に、自分を振り返るためにも、この機会が私にとってとても意味のあることだったと思い、この機会与えて頂きましたJINA 内田麻衣子さんに感謝致します。
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小学校の頃になると、両親に"アメリカに行かせてほしい!"とお願いするも、真剣に受け止めてもらえず、またこの頃から洋楽にも興味を持ち始め、初めてレコードレンタルショップでフラッシュダンスで知られる"What a Feeling"ワムの"Freedom"、スティービーワンダーの"I just called to say I love you"を借り、父親に頼んで英語の歌詞を全てカタカナに直してもらって一人で歌っていたのを今でも覚えています。
またそれとは別に、ホームステイをしていた私は、その頃は若かったということもあり、他の家庭で生活をすることの難しさや自分の自由な時間を持つことができないことなど、いろんな問題で悩んでいました。日本に帰りたいと思ったことも何度もありました。しかし、自分がどうしてもアメリカに行きたくて両親に無理を言って行かせてもらったこともあり、なかなか言えませんでした。そういうこともあってか、一人で何か楽しめる時間、場所を探していました。その時に出会ったのがダンス。自分の自由な時間をダンススクールで過ごしました。もしかしたら、この時からダンスがいつも自分を励ましてくれ、元気づけてくれると感じ始めたのかもしれません。
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そんなことを意識しながら見ていたせいか、刺激を受け、UCLAダンスチームのオーディションを受ける決意をしました。ものすごい緊張でした。オーディションが一般公開だったこともあり、応援に同じ寮に住む友達が来てくれたのは本当にうれしかったです。結果はボードに合格者番号が発表されるのですが、残念ながら自分の番号を見つけることができませんでした。寮に歩きながら帰る途中では涙が出ました。寮に戻り、まるで妹のようにかわいがってくれた友達から、「今回の結果はだめだったけれども、でも本当に目指したいことがあれば、それに向かって努力してあきらめなければ、必ずいい結果が生まれるよ。」と泣いている私を抱きしめて言ってくれたことは今でも忘れません。その彼が今私の住むBerkeleyすぐそばに住み、オーケストラの一員としてチェロを弾いているなんて、本当にその頃は思ってもいなかったです。先月10月3日に彼の結婚式にも行ってきました。UCLA時代の友達全員が勢ぞろいし、reunionとなりうれしかったとともに当時を思い出しました。
ダンスにはもちろん興味があったものの、バスケットボールには正直言ってあまりなかったので、面接のためにも勉強しておかないと、と思い調べて少し知識を増やしていったのですが、そのようなことは全く聞かれず、"So・・・・ you graduated from Palos Verdes Peninsula High School, right? "から始まり、どんどんその話から盛り上がり、結局仕事の本題に入ったのはほんの数分でした。 というのは、当時のNBA Japan社長(Mr. John Rice)のフィアンセで現在妻である彼女と、私が同じ高校を卒業していたからです。この世の中にたくさんの高校がある中、本当にこんなこともあるんだな、と驚いたと同時にその時何かを感じざるを得なかったのも確かです。 NBA Japanでの採用が決まり、私はマーケティングのオペレーションのアシスタントとして働かせて頂くことになりました。ゲーム間近だったと言うこともあり、また日本と本社のあるアメリカ(ニューヨーク)との時差の関係上、毎日9:00am - 2:00am、時には5:00amぐらいまで、みんな本番まで大丈夫かな、と思わされる働きぶりでした。イベント直前のオフィスではどこでもそうだとは思いますが、しょっちゅう他のスタッフとの意見の違いなどでもめることがありました。でもそれも、"ゲームを少しでも盛り上げたい、盛り上げるにはどうしたらいいか"というアイデアの違いなどによる討論だったりで、とても前向きでポジティブな、何かもっと自分にできることがないかな、という気持ちを起こさせました。
"与えたられた環境で今できることを一生懸命に頑張っていれば、失敗したとしてもそれはしょうがないし、たとえ失敗してもそれで死ぬわけじゃないからね!"それを聞いたとたん、すぐに"確かに・・・・"と頷いてしまったのを覚えています。今ではこの言葉が私にとっての"Key Word"になっています。問題があってもそれがすごく"小さなこと"に思わせてくれます。 一方、元NBAジャパン社長(John)は、彼にとっても2年間の異国生活、しかもオフィスのトップというポジションの立場、またイベントの責任者という立場のプレッシャーや孤独感は相当なものだったと思います。表参道に当時オフィスがあったのですが、Johnが仕事のことでいっぱいいっぱいになったオフィスアワー終了後の彼の部屋に入ると、Johnの大好きなサルサ音楽がかかっていて、たまに踊っている姿を見かけました。また、深夜12:00am を過ぎて仕事がはかどらなかったりすると、六本木のクラブに私を連れて行き、1時間だけステージの真ん中で踊っているJohnを私はまわりでぼーっと眺めていました。会社のトップにはまるで見えない光景です。お酒を飲むわけでなく、たばこを吸うわけでもなく。1時間だけダンスでストレスを発散し、楽しんで、気持ち良くまた会社に戻って仕事に集中する。初めは本当に???という感じでしたが、何という自由で、でもモチベーションがある時に集中して仕事をする、効率的なやり方なんだろうと、見ているだけで勉強になり、とても影響を受けました。 また、"不可能"と周りが思うことを自ら選んで進んで行く、まるで崖っぷちに足の小指でバランスをとりながら立ち、どっちに転ぶか分からない状況にいつも自分を置く、そのチャレンジ精神とその信念の強さには誰もが驚きました。苦しみながらも楽しもうとし、それでもどこかで彼なりの自信や強い信念があるからこそ、最終的には不可能と思われていたことも可能にする、その根性、勇気、信念には本当に生きがいというものを感じさせてくれました。
まずは会社トップ、Johnのお話。東京ドームのような大きな会場でジャパンゲームを行うということで、チケット販売が本当に最後まで心配でした。特に最上階の席です。どんなイベントでも観客がびっちり入っていた方がより盛り上がりますし、選手、スタッフ、観客、全ての人のモチベーションにもつながります。そこでJohnは何をしたかというと、自ら六本木のクラブをまわり、DJに混じってNBAジャパンゲームのアナウンスをしてゲームの紹介をし、チケットが欲しい人に提供したのです。すごい効果でした。ゲーム当日ここでチケットを得た人のセクションを見てみると、びっちりと埋まって盛り上がっていました。みんな来てくれていたのです。 自分の身近なところからでも、たとえ会社のトップという肩書きがあっても、彼にとってはそれは何も関係がなく、それよりもイベントが盛り上がるようにと、自らすすんでしかも楽しみながら行動していく姿を横で見ていました。"すごい人だなぁ"と思わされました。 次は直属の上司(Mr..Hideki Hayashi)のお話。イベント直前には分刻みでいろいろなミーティングや会場での最終打ち合わせがあります。体がいくつあっても足りない、そんな忙しさです。特に私の上司はオペレーション関係全てに携わっていたので、誰よりも忙しい人でした。本番のゲームを明日にひかえ、アメリカからNBA全体のトップ、コミッショナーのDavid Sternも来ていました。もちろん上司はコミッショナーとのミーティングがスケジュールに入っていることも知っていました。でも、そのコミッショナーとのミーティングをすっぽかしてしまったのです。行けなかった理由は、スケジュールが押し、同じ時間にボールボーイ(試合中、選手にタオルやドリンクを渡したり、コートにモップがけをする男の子たち)とのミーティングがあったためです。私もその場所にいました。どちらが大切か?上司にとってみると、みんながいてのNBAというスポーツイベントで、スタッフ全員が自分が与えられた役割を知っていなければならないし、心配することなく楽しくすすめてほしいという気持ちが強かったのだと思います。 後で本人に聞くと、"さすがにコミッショナーとのミーティングに参加できなかったことは、明日からのポジションがなくなってしまうことだと覚悟していたよ・・・・"と言っていました。しかし、辞めさせられるどころか、"今までにコミッショナーとのミーティングをすっぽかした人はいない"と今ではそれが有名な話となり、全体的な仕事ぶりも含め、更に彼に対する評価が上がったのは事実です。 本当にイベントが成功することを考えれば何が必要か?何が大切か?を特にこの2人から学んだ気がします。
友達の知り合いの場所に泊めて頂き、それだけでも心強くまた感謝の気持ちでいっぱいでした。しかし、それでもアメリカには何度も行っているとは言え、知らない土地に1人で行くのは不安になるものです。孤独にもなりました。知らない土地、知らない人、オーディション、とう3つが重なって何とも言えない、何だか自分の本当の弱さを知らされたような孤独、そして何だか間違ったことをしているような不安におそわれたのを今でもはっきりと覚えています。そのせいか、食べ物が何一つ喉に通らず、でも食べなければ体力がなくなってしまう。どうにかして口に何か入れなければ、と思い、ストロベリー、バナナ、ミルクなどを混ぜたスムージーを無理に飲んでいました。それ以上に悩んだのが、不眠症になり一睡もできない日が3日連続続き、体は疲れているはずなのに緊張からなのか疲れを感じさせない変なエネルギーがあり、自分の体をこんなに心配したことはありませんでした。両親に電話をしたくても、あまりダンスを続ける私の安定しない生活をいつも心配し、またこのオーディションを受けることにもあまり賛成ではなかった両親に、またこの時点で電話をしてしまうと、優しい両親の声に耐えきれずに泣き出してしまうのではないかと思い、オーディション全てが終わってから電話しようと決めました。
オーディションは、その前の年に受けたNew Jersey Netsの時と同じように行われました。初めにJazzテクニックが入ったルーティーンから始まり、15分程度で覚え、練習し、早速審査員10人を前に第一次審査です。3人ずつ審査員の前で披露します。終わると同時にパスした人だけにカードが渡され、次の審査に進むことができます。カードが渡されなかった人は"Thanks for coming"と言われ、その場で会場を退場しなければなりません。 一次審査に合格したからと言って喜んではいられません。すぐに一次審査で披露したものにに少し付け加えられたルーティーンの第二次審査が始まります。この辺りから会場の空気がごろっと変わりました。更に緊張感が増しました。同じように3人ずつの演技でパスをした人にはカードが渡されます。2次もカードをもらうことができました。更にまた全く同じことが第三次審査でも行われました。3枚目のカードも獲得しました。これで終わりかと思うとまだまだオーディションは続きます。また更にそのルーティーンに新しい振りが加わった第四次審査。次に何が行われるのか予想できないことと、常に集中、緊張していることで体が疲れてきているのが分かりました。でもここからがもしかしたら勝負なのかな、と思い、できる限り疲れを見せないよう、集中するよう自分に言い聞かせました。そのかいがあってか、四次審査も合格することができました。 朝8時にスタートしたオーディションはこの時点で午後1時をまわっていました。もう体は休憩を求めていましたが、その後も通過者はHip Hopの振りを覚え、それからやっとお昼に入りました。もちろんこの1時間のブレイクは昼食をとり、体を休める時間です。しかし、昼食後すぐに第五次審査が行われることを知り、どうして休めるでしょうか。日本から持ってきたチョコレート味のカロリーメイトとポカリスエットを少し口にして、昼食時間も窓ガラスに映る自分の姿を見ながら練習に集中しました。アメリカ人と比べると体が小さいため、振り覚えと同時にどうしたら体の動きを大きく見せられるか、どの部分が一番気に入っていて、どうやったら他と差をつけられるかも考えました。 第五次審査。私の順番がやってきました。初めはよかったものの、途中から一瞬にして真っ白になり振りが全部とんでしまいました。もうだめだと一瞬にして思ってしまいました。それでも自分の一番好きなパートがまだ残っていたのでそこだけでもと思い最後まで踊りました。踊り終えた後は力がガクッと抜けてしまいました。このオーディションもここまでだな、と思い結果の発表を何も期待せずに聞いていました。すると私の番号が発表されたのです!驚きました。うれしさを隠せなかったのですが、またすぐに第六次審査が始まり、気持ちをまた切り替えることに。もう本当に体がクタクタで足がガクガク、のどはカラカラ。緊張感だけで体がもっているようなものでした。この審査で今日は最後かもしれないから頑張らないと!と何度も自分に言い聞かせました。ふー、六次審査合格。予想通り今日のオーディションはこれで終わりということで、時計を見ると午後8時をまわっていました。午前8時から始まった、ながーいオーディションの1日がようやく終わりました。 しかし全体的なオーディションはまだ終わったわけではありません。2日後にインタビュー、その次の日には最終のダンスオーディションが待っていました。インタビューまでの2日間は、家の鏡を見ながらもう一度丁寧に見直し、またフリースタイルを披露する最終審査のためにも練習しました。またインタビューで何を聞かれるのか分からなくても、自分の考えをしっかり持っていようと、自分で質問をつくり声に出して答える練習。またチームについても少し勉強しました。
インタビューはリラックスした雰囲気で楽しかったですが、質問はどんどんビザに集中してくるようになりました。どんな質問がきても大きな問題ごとのようにとらえられないように心掛けました。ここで、去年のオーディションも含めて、ビザの問題は私にとってとても大きな問題であり壁であることを改めて強く感じさせられることになりました。もちろんチームの立場になって考えると、ビザの問題でリスクを負ったり、そのためにいろいろな書類上の仕事が加わるとなると、それなら現地の人を・・・・となるのも、悔しいですがとても理解できます。 少し気になるインタビューでしたが、気にしてもどうしようもないので気持ちを入れ替えようと、明日の最終ダンス審査に集中するようにしました。自信が持てる表情がつくれるよう、とことん練習。あとは本番を待つだけです。
今までで最高のできだと自分で思いました。まわりではけっこう間違っているのがちらっと見えたので"もしかしたら大丈夫かも・・・・"という思いが頭を横切りました。やっと全てのオーディションプロセスが終わると、"あなたのことを真剣に考えるわ"とディレクター自ら私のところへ来て言ってくれました。そんなことを予想していなかった私はうれしさと合格する可能性が高いのでは・・・・という期待でいっぱいのまま次の日に日本に帰りました。帰りの飛行機の中では、つい一週間前の、オーディションを受ける前の飛行機の中での気持ちを思い出していました。帰りの飛行機では、行きのあの緊張や不安な気持ちは全くなく、精一杯頑張ったと言える満足感があり、何とも言えないうれしさでした。
心配すればするほど、そのことに何だか時間とエネルギーを注いでいるようで、考える時は何か問題が起こってからにしようと、でも解決策やアイデアは頭に入れておこうと思うようになりました。ひらきなおることで自分を前に押し進めていたような気がします。
普段なら会社を辞める前に両親に相談するのですが、安定した生活をしてほしいと常に願っていた両親に相談しても反対されるのが分かっていたので何も言わずに辞めました。自分の答えがここまではっきりしていて、心配しているがために反対する両親の意見を聞いて判断するのは自分にストップをかけているようで、今は自分に正直になることが大切だと思ったからです。 ダンスだけの貧乏生活
通っているうちに、初めに感じた不安や緊張がなくなり、逆に目標を持って真剣に取り組む生徒と一緒に踊ることでもっと気合いが入り、その空気がが楽しくなってきました。先生も真剣な表情で厳しく注意します。初めはちょっとビクビクしていたものの、注意してもらえることのありがたさ、またうまくなってほしいから注意してくれることの気持ちがストレートに伝わりました。先生によってスタイルや考え方は違うものの、ダンスを愛しているということ、生徒にもっとうまくなってほしいという真剣さとエネルギーはどの先生も共通していました。だから生徒もどんどんまわりから集まるんだと思いました。また、BDCでは常に外国から先生がが教えに来るため、また違うダンスを実際に見て学ぶことができます。ダンスを学ぶものにとってはとてもいい環境で刺激を受けました。特に見せ方や表現力に関してはとても勉強になり、私の場合オーディションがアメリカで行われるため、少しでも本番の環境に近付けようと外国人講師のクラスをできるだけ受けることを心掛けていました。 -1年間のダンス生活が終わろうとしていた頃の心境/オーディションを目の前にして 会社を辞めてから7月初めにオーディションを受けるまでの約1年間、風邪以外の日を除いて毎日、2002年World Cup TM が開催され、東京の町中が青いユニフォームを来て日本を応援する人でにぎわい、知らない人同士がハイファイブするという、何とも日本ではめずらしい、でも美しい姿を見ながらも、私はBDCへと毎日向かいました。そして辞めた会社を、スタッフを思い出しながら、イベントがうまくいくことを願っていました。 まだまだ完璧でなく、魅力のあるダンサーを見る度に自分の実力のなさを感じました。しかしこの1年間、自分が想像する以上に努力した自分、精一杯頑張ったと自信を持って言えた自分がいたことに、まだオーディション前であったにもかかわらず、正直にうれしかったです。たとえもし、オーディションの結果がだめだとしても、自分を責めようとせずに結果を素直に受け入れようと思いました。 ただ、今回のオーディションにたった1つの目標を決めることにしました。その場所の環境を"楽しもう"と。過去2年のオーディションの経験はやはり無駄だったのではなく、その中から学んだことはたくさんあります。が、思い出してみると"合格したい!"という気持ちが強すぎてそれが逆に顔に表れていたのかな、と今振り返ると思います。誰でも緊張すると表情が厳しくなったり恐くなったり、もちろん怒っているわけではないのですが、"楽しむ"ことを忘れがちです。まさに私がそうでした。でも、もしかしたらこれこそが一番大切なものではないか、とういうことに気づき、オーディションではできる限り緊張しないで楽しもうと心に誓いました。 全てのNBAチームのオーディション情報はインターネットで調べ、" Sanae 2002 NBA Dance Team Audition Trip"のスケジュールを組みました。どのチームももちろん最終選考まで進むことを想定してです。できるだけ西海岸のチームを希望はしていたものの、今回は受けられるチーム全て挑戦しようという覚悟、意気込みでした。が、最後にオーディションが行われる予定のチームまで行かずに決まってくれればどんなにいいだろう、という気持ちは確かにありました。期待、不安が入り交じった気持ちでいっぱいになりながらスケジュールをいつも持ち歩き眺めていました。 ページ1 | 次のページ(ページ2)>>
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