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――チャカ・カーン共演したきっかけは?
NORIKOさん
サークルがあってね、ギターのおじさんのダレル ・クルックスの知り合いでサックスのアンディー鈴木さんから、カタリナのジャズフェスティバルで演奏するからおいでと誘われたんですよね。ショーのあと楽屋で食事をしたらそこでチャカ・カーン(CHAKA KHAN)のベーシストであるメルビン・リー・デイビスと同じテーブルになったんですよ。それで私は例のごとく、自分の売り込みをして(自作アルバムの)ラブ・ポーションのCDを渡したんですよ。メルビンと出会ったお陰でチャカ・カーンとの共演が出来たんですよね。
――チャカ・カーンはどうでしたか?
NORIKOさん
なんか風邪を引いていたらしくて「眠れなかったから今日はうまく歌えないと思う」って言っていたのにステージはあの迫力ある歌声で観客を魅了していましたね。風邪なんか関係ないよね〜みたいな。彼女はジェルスとロンドンに家があっていったりきたりしています。 はじめて共演した時はおもわずほっぺをつねってしまった。感動でした。
―― 女性だからというハンディはあるんでしょうか?
NORIKOさん
日本人でも頑張っている女性キーボーディストは私の知り合いで二人程いますが、音楽業界はやはり男性が圧倒的に多いです。だから私たちも同じレベルでやっていけることをみせるように、がんばっています。そうでないと、また女の子だからダメなんだと言われちゃうことが良くあります。私がのミュージカルディレクター(MD)でキューとかテンポとかをコントロールする時があるんですけど、黒人のおっちゃんの中では、私にここはこうした方がいいとか指図されるのが嫌なようで無視されたこととかもあります。(笑
――MP3.COMにオリジナル曲をアップされ、ボサノバ部門で Dancing in the Moonlightが1位になったそうですね?
NORIKOさん
"DANCING IN THE MOONLIGHT"はアルバムの曲が足りないのでもう1曲と言う感じで、作った曲だったんですよ。(笑 自分の中では特にお気に入りという曲ではなくて、ボサノバの軽〜い感じの曲で、唯一の日本語作詞の曲なんです。英語の作詞は必ず一緒に書くco-writerがいたんですけど、これは自分で全部作詞しました。英語の曲で、韻とか踏ませるのはネイティブでないと難しいじゃないですか。ところが日本語を分らない人から素晴らしいと絶賛されて、MP3のボサノバのNo1になったんですよね。日本語の歌詞の方が、私が作ったメロディーとうまく合ったのかもしれませんね。だからシベリアのラジオ局「ペンギンステーション」から、かけたいからCDを送って欲しいといって連絡が来たんですよね、「warmest wishes from the coldest place!」とかいって。(笑 あと結構ヨーロッパ人からも連絡がきました。また、ニュースレターでも私の曲が取り上げられて、私のMP3WEBページにすごいアクセスが来たんですよ。でも、もうMp3.comというサイトがなくなっちゃたんですよね。私は自作を27曲載せていたんですけど。
――ファーストアルバム「Love Potions」のテーマは?
NORIKOさん
私の結婚生活は満たされてなかったというか、別れたグラフィックアーティストの旦那は私を音楽家としてイマイチ認めてくれなかったのです。そのせつない思いを綴ったのがこのCDなんです。だからやはりせつない愛の曲が多くなりました。
――ジャンル的にはなにが得意ですか?またはどんなジャンルが好きですか?
NORIKOさん
ジャズが好きです。ジャズといってもスイング系のジャズでなくて、ブルース系のジャズでSMOOTH JAZZ系が好きなんです。
――日本人であるが為のハンディはありますか?
NORIKOさん
ハンディはありますよ。日本人だから雇ってもらえないというのはあります。スタートレック映画(2002年クリスマス)の結婚式のシーンで出演したり、ジャッキー・チェンの映画でアジア人の映画とかで依頼もあったんですけど、モータウンなどの黒人の映画には絶対採用されないですね、だからほんと皮膚を黒く塗りたくなった時は沢山ありますね。(笑 一緒にだから、黒人じゃないからとか、男性でないから雇ってもらえない場合はあります。
――ニューヨークではやらないんですか?
NORIKOさん
ストレートアヘッドというか、スイング系のジャズはまだまだ勉強しなくちゃですね。ジャズでも全然違う世界だから。
――尊敬するアーティストは?
NORIKOさん
マイルス・デービス(Miles Davis)で、常に新しい音楽、サウンドを捜し求めていたアーティストです。私が、マイルスから影響を受けたのは、彼は演奏しない時間、"間(ま)"をとても大切にしているんです。弾くばっかりが音楽じゃないから。だから彼のソロを聴くと凄く勉強になります。日本人だったら、さだまさしす。(笑 以前、オーロラ基金主催のチャリティーコンサートにいって、1975年の曲「無縁坂」を聴いて泣いてしまいました。
――これまでに自分の人生に影響をあたえた方を3名お聞かせください。またどういう方達で、どのように影響を受けましたか?
NORIKOさん
ギターのおじさんです。理由は、彼はもちろん仕事を沢山紹介してくれたのもあるけど、とてもスピリチュアルな人で精神的にとてもつながりのある人で、沢山のことを教えてもらいました。そのくせ一緒にGIGをすると、「She taught me everything!!」とかみんなに言うんですよね。ほんとにすごいいい人で、彼が私の12歳になる息子のオーシャンにギターを教えてくれているんですよね。二人目はやっぱり母です。最近なんか電話すると私怒られてばっかなんですけど。。なんか年をとるにつれて彼女に似てくる自分にドキっとする今日この頃です。(笑 あとは、ピアノの先生で小浜良子先生といって、私がアメリカに来るきっかけを作ってくれた恩師です。9歳で曲を書いた時も先生が教えてくれたんです。彼女がいなかったら今の自分はなかったなと本当に思いますね。彼女は今NYでお仕事をされています。小山先生はヤマハにずっと勤めてらした方で、講師として大活躍されていました。
―― 音楽を作曲する上でのアイデアはどんどん生まれてくるんでしょうか。それともアイデアに行き詰まったりする事はありますか?
NORIKOさん
アイデアはもうどんどん生まれてくる時もあるし、全然思い浮かばない時もあります。ほとんどの場合音楽は天から降ってくるんですよ。人と会って話をする時に浮かんでくる時が多いです。それでもう紙に楽譜を書いて、伴奏も一緒に思い浮かぶので"Dマイナー"とか書いちゃうわけですよ。それで家に帰ってから、コンピューターのソフト Cue-base sxに打ち込むんですよ。ドラム以外は全て自宅でレコーディングできるので、自分の声とかいれていくんですよね。友達の高槻さんは、曲が思い浮かでも書かないで3日目まで覚えていればそれはいい曲だというんですよね。(笑
―― 演奏する上で常に上で気をつけていることなどありますか?
NORIKOさん
他の人と演奏するときは、今の自分の役割を常に考え、歌や他の人のソロの時は、自分のボリュームを下げて、引き立て役にまわります。面白い話があるんですけど、以前テレソンというイラン人の募金のテレビ番組の演奏をする仕事を引き受けたんですよ。全てイラン語だから、何言っているかわからないし、それで何を弾いていいか分からないんですよ。いきなりゲストシンガーがきて私が聴いたこともない曲をやることになりました。それで音楽が始まって、最初は弾く振りをしながらボリュ−ムを0にしていたんですけど、音楽を聴いていたらなんとなく、曲が解ってきて最後にボリュームを最大に上げて弾いたんですよ。そしたら、「How did you know this Iranian Song??」とかみんなびっくりしていました。テレビで見て感動した視聴者がアジア人の女性の演奏が素晴らしかったといって500ドルを寄付したそうです。わたしに寄付してくれればいいのになぁ。(爆
――初期の作品と今作っている作品のちがいは?
NORIKOさん
凄い違いますね。なんだかんだいって、CDを作ってもCDが売れなければ、ただの自己満足で終わってしまうでしょ。だからビジネス的な部分を勉強してきました。作曲する時にも、コマーシャル的にどういう要素が必要であるか、気を配るようにしています。それも良し悪しですので、それを重視しすぎるとアーティステックな部分がなくなってしまいます。自分が本当に好きな曲を作ろうとしたら、アメリカのラジオ局ではかけてもらえないし、ラジオ局WAVEにかけてもらう為には凄い難しいです。やっぱ今どんな曲がラジオでかかっていて、流行っているかとか聴いて勉強して曲を書くようになってしまうんです。だから、寂しいといえば寂しいですけど。
――アーティストとして成功する方法とはズバリなんですか?
NORIKOさん
まだ成功してないからな〜。アーティストとして音楽業界で成功していく秘訣ということであったら、常にチームプレイです。
インタビュー後余談
お仕事以外にはどういった時間の過ごし方をするのでしょうか?息抜きの仕方。趣味など
夜時間があったら息子のオーシャンの歌をレコーディングしたり、息子がピッチャーなんで、ミットをつけキャッチャーをやってます。オーシャンがRAPにはまっていて、彼のCDを作れればと思っています。
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