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| デザイン・文・インタビュー:内田 麻衣子 | ||
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父が衛生工学の権威で、日本の沢山の大学の教授を歴任していたので、その影響があったでしょうね。それから、親に顕微鏡を買ってもらってプランクトンを卵から孵して、夢中になって観察日記を書いているような子だったなぁ。中学校の時から物を書くのが好きで、読売新聞の小学校の作文コンクールで賞を貰ったり。中学二年の時に、「変人文学」というミニコミの雑誌を立ち上げて、編集長をやって、文化祭で売ったりね。あと、小学校の時から漫画を書いていて、中学校の卒業記念に生徒がいろいろ卒業作品を展示して、他の子はセーターとか編物をだしていたんだけど、私は20ページの漫画を展示した思い出もある。私、まだその原稿を大事に持ってるもの。 そんな感じで、昔から物語を書いたりするのは好きだった。元々、友だち達と何かやるのが楽しくてね〜。「変人文学」は、アメリカに留学する高校2年まで続けました。「変人文学」は、クラブ活動でなくて、同好会だからクラブ活動費がでなかったけれども、生徒達にはすごい人気で、参加希望者が多くって大変だったから、偉そうに、面接でメンバーを選んでたりしたものよ。
1976年、私はまだ16歳で、一ドル360円の時代で、海外旅行がステータスの時代だった。今みたいに留学がポピュラーで、留学案内書や相談所がありふれているわけでなかったから、16歳の女の子が個人留学のつてを探すっていうのは、生半可なコトじゃなかった。それでも、海外留学を斡旋する会社が東京にあるのを見つけて、問い合わせをして、父に「帝国ホテルの中にある会社で面接があるから、お父さん一緒に行って下さい」と言って連れて行ってもらったんです。 当時、住まいは大阪だったんだけど。 |
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そのノートをいっつも制服のポケットに入れて、休み時間とか通学時間とかに読んで読んで、ボロボロになるまで読んで、英語フレーズを丸暗記したの。また、満員電車では窮屈でノートを読めないから、目につくものをぜーんぶ、頭の中で英訳していったの。「あの人かっこいいな〜」とか、「あっ、赤い帽子を被っている人がいるな」とか、窓の外見て「今日は天気がいいな〜」とか・・・。 とにかく目につくもの、出来るだけ英訳していったの。すでに英訳出来るだけ、自分の中にすらすらと出てくるボキャブラリーが、本の中のフレーズを暗記したことで、出来上がっていたから。実際の会話ではなくて、一人で、自分の頭の中で英文を組み立てるのだから、時間はいくらでもあるわけでしょ。とにかく、色々なシチュエーション、会話を想定して、英文を作ってました。 そういう練習は、英訳出来るだけでも自分に自信がついてくる。でも、それでも訳せない、自分の英語力では表現できない言い回しとか単語とかは必ず出てくるわけで、そのときは、また家に帰って辞書を引いて、ノートに書き足して、覚えていくわけよ。 そうやって私は、1年間で日常会話が出来るようになりました! 当時は同級生に言われたわよ、「ま〜た、英語やってんのぉ〜、好きねっ〜」て、飽きれられるほどに毎日毎日毎日毎日、英語の勉強してたの。そうやると1年で独学で英会話を身に付けることができます! 高校の1,2年で私は実際にやってきたんだから! 理論としては理にかなったやり方でしょ、そうやって覚えれば! ヒアリングとかはNHKの英会話や、ラジオを聞いたりしていたけど。私の方法だと、ヒアリングよりもスピーキングが先に出来るようになった。 だから相手のいうことが半分しかわかんなくても、「こういうことを言ってますね?」と自分の言葉で、聞き返せたのね。そうすると、相手が「いや、そうじゃないよ」とか、「その通りだよ」と、お互いの理解が深まって会話は成り立つ。だから、渡米してからは、どんどん英語力に磨きがかかったわ。 そうして留学まえに、独学で英語をある程度身につけていたので、私がアメリカ人の面接官と話した時は、私は最初は語学学校に行きたいと言ったのに、「あなたは十分会話が出来るからOK!」と、幸か不幸か、ダイレクトにハイスクールに入りなさいと言われたんです。
それって、片言の日本語しか出来ない子が、たまたま有名な日本の進学校に行ってさ〜、東大理学部とか慶大理学部と行きたいです、とか言ってる様なもんだったのよね。余りにも、無謀な進学希望だったわけ。だから、先生は「わかった。あなたが、学者になりたいのはわかったけれど、アメリカ人でも大変な4年制大学を受けるのは無理があるから、まずジュニアカレッジに行きなさい」と言われたわけ。でも、私も頑固で4大にストレートで行きたいと言い張ったから、先生も「この子も、ダメだったら諦めもつくだろう」と思ったらしく、私のためにSOLID COURSEを組んでくれたのね。だから、高校2年の時にENGLISHTと US HISTORY、3年生の時に、ENGLISHU、Vと、レベルの違う英語クラスを同時に取って、科学も数学もとって、アメリカの高校卒業とアメリカの4大に入るための必須クラスを全て、2年間で取らなきゃいけなかった。
だから、US HISTORYの授業でもESLで教えるのと4年制大学に行く為のクラスとは全く授業内容が違ってて、私の行ったハイスクールの高校2年生ようの教科書は、USCのフレッシュマンと同じ教科書を使っていたのね。だから後で、ジュニアカレッジに通っていた友達に「キャズさんUS HITORYの教科書貸してもらえますか?」と言われて、私の電話帳サイズの分厚い教科書を見て「うっぎゃー」って言われたぐらい。だから、ほんとレベルの高い高校にたまたま行っちゃったわけ。カリフォルニアのベスト3に入るような超エリート高校だったから。その学校のレベルの「アメリカ史」を取ったり、国語、つまり、英語のクラスも、私は2年生から入ったら3年分の英語の授業を2年間で習得して、いい成績を取らないと4年制大学にいけなかったのね。
なのに、そのクラスの宿題が、夜中まで頑張っても全部読みきらなかったのね。翌朝、その課題から試験が出されたんだけど、横でお化粧して、ガム噛みながらさ〜どう見ても私よりバカそうな年下の子が、アメリカ人であるだけで答えられるのに、私はなんにも答案用紙に書けないわけ。バカそうなんて言うのは失礼なんだけど(笑)。もう、その悔しさっていうのは忘れないわね! ま、そういう悔しさが積み重なって、ドンドンバネになって、猛勉強することにつながるんだけど。 毎日3時頃ごろ学校から帰ってきて、4〜5時は寮の study hour で、みんな勉強していて静かだから、私はその1時間にお昼寝をしておいて、みんながTVとか見に、ラウンジに行っている時間に私は部屋で勉強した。夜11時に寮母の先生が見回りに寮の部屋に来て、消灯になるんだけど、でもトイレの電気は点けていても怒られないから、見回りの後、トイレに毛布を持って行って、便器に座って毎日午前3時くらいまで勉強した。だから、学校の授業の他に毎日8時間は勉強してたわね。 当時、自分で思ったのは、自分は英語のハンディがあるから、アメリカ人と同じ勉強量じゃ勝てない、2倍したら同等になれるかも。だったら3倍勉強しなきゃって・・。1日24時間の中で学校行って、その上8時間勉強してた。学校のスポーツのイベントとかに、「この子は学校のイベントなんか参加せずに、ひたすら勉強ばっかしているから、たまには出なさい」と、寮の部屋から連れ出されても、寮母の先生の目を盗んで、ダッーとまた寮に戻って勉強してたよね。そうやって勉強した結果、3年分の単位を2年で全部取って、成績優秀賞を受賞して、スペイン語ではストレートAだったから最優秀賞で表彰された。それで申し込んだ大学全部に合格して、その中で一番いいUSCを選んだ。 だから、卒業して進学が決まった時は、嬉しいという気持ちよりは、先生方には絶対に無理だろうと言われたことを成し遂げたから、"ざまぁ〜みろ"と思って卒業した。"See what I did"って感じ。その時に、「人間やれば、本当に出来るんだなぁ」と思ったよね! でもね、2年間勉強ばっかしていたけど、その隙間に学校のダンスとかプロムにちゃんと参加してたのよ。Promとか、Grad nightとかWinter Ballとかペアでしか参加できないイベントを、全部アメリカ人の彼氏と参加した。だから女子高で彼氏できない日本人留学生に妬まれたわねぇ。日頃、勉強ばかりして真面目だから、先生の受けはいいじゃない? それでパーティーとか行っては男の子にナンパされたりして、ちゃんとハイスクールライフもエンジョイしました。あの2年間の高校生活には、2度と戻りたくないけど(笑)!
私は欲張りな性格だから、USCの理学部で勉強しながらも、夜はライブなど行ってちゃんと遊んでいて、ちょっと音楽活動とかも始めて、それがたまたまイギリスのアイランドZeレコードとの契約になって、作詞家/歌手としてヨーロッパでデビューしちゃったの。そうしたら、そのデビュー曲がきっかけで、在学中に日本の「欽ちゃんの週刊欽曜日」と言うTV番組から出演依頼を受け、USCを休学して85年、つまり8年ぶりに東京の実家に戻って、日本でタレントとしての仕事をすることになったの。 その曲は "No Time to Stop" っていうんだけど、84年にヨーロッパで大ヒットして、翌年にアジアですごい売れたの。その頃、日本のディスコいくと、私の曲がかかるとちゃんと振り付けもあって、みんなそれ踊っていたんですって。で、なんとこの年末、20年ぶりに、その曲、コンピュレーションアルバムでの再リリースが決まっています。
まぁ、タレント業はともかく、ものを書くのは好きだったから、「欽ちゃんの週刊欽曜日」の仕事が終わった後は、日本で作詞家になったの。当時はバブルの全盛期だったから、英語のコマソングがいっぱいあって、テレビからラジオから自分の作った曲を聴かない日はなかったわよ。また、当時のアイドルの中森明菜ちゃんとか、森川美穂ちゃんが英語の歌を歌う時の、発音の指導とかもやってた。あと、コマーシャルソングや映画のサントラも書いた。 でもね、日本でそうやってキャリアを築きながら、自分の中では絶対USCを卒業はしたかったの。父親も高額な授業料を払ってくれたわけだし、それにあんなに高校時代勉強して大学入ったわけだから、卒業したいじゃない? 父にも「東大だろうとどこだろうと、1日で辞めても、卒業直前に辞めても中退は中退だから、卒業証書を貰わなければ意味が無い」って言われた。 日本でいろんな意味でSuccessfulだったから、いろんな人に「キャズは、アメリカ帰んなくたって、このまま日本の芸能界でやっていけるじゃん」と言われていたんだけど、私はそういうのは許せなくって、ケジメをつけたくて、1989年にアメリカに再び戻って来たの。渡米前に、日本で、アルバイト雑誌のデイリーanからアメリカ生活を連載してくれませんかと依頼されり、ギターマガジンとか、キーボードマガジンの音楽ジャーナリストとして英語で取材して原稿を書いたり、ナックファイブというFM埼玉の番組のDJをやったり、USC通いながらも仕事もばりばりこなしてた。 USCの学費はバカ高いから父親に出してもらったけど、私はそうやって、日本円を稼いで生活費を作っていた。アメリカに戻って来た頃には、わたしの夢であった学者になることには、既に興味を失っていたのね。元々小さい頃から書くの好きだったじゃない? それで食べていくということになったから、あー私はやっぱりこっちがしたいって! それで巡り巡って、物書きになったの。 90年、USC卒業後は、VISAの問題もあり、アメリカで映画会社や、雑誌の出版社に就職したりしたんだけど。89年から日本の雑誌には連載を書いてて、95年に講談社から書き下ろしの単行本で、文壇にデビュー。それから年に1、2册くらいのペースで本を執筆してる。アメリカに戻って来て、卒業まで一年分程、取らなくちゃいけない単位が残っていたんだけど、いろいろ調べた結果Communicationだとリクアイヤメントが少ないってわかったの。だから、理系から転部して、Communication Arts & Scienceで卒業したんだよね。 通訳の仕事をするという部分では、日本では作家で、アメリカでCommunication Degreeを持っていると「こいつよっぽど言葉出来るな」と思われる。それに私は理学部だったから、医科理科系の用語に精通しているでしょ。心臓移植手術の通訳がありますといったら英語を日本語に訳せるわけ。人体解剖学の講義がありますといったら、横隔膜がどうのこうの、胸骨がどうのこうのというのを血を吐くまで勉強しているから、全部知ってるわけじゃない。 だから、メジャーは卒業前に理系から文系に変えちゃったけど、こうして卒業した後に仕事につながってて、全然無駄になってないと思う。友達にも、「ほんとにキャズって、大学時代に学んだことをCASH INしてるよね」と言われる。(笑)でも、通訳の仕事って、いろんな所に行ってHUMAN DYNAMICの生き生きとした中で人の倍喋って、執筆業とは全く違う能力を使うでしょ。本当に難しい用語をキレイな文章で訳せたときなんか、すごく気持ちがイイわけ。それに、通訳仕事を誉められると嬉しい! 特に専門家に「私は、ほんといろんな通訳をみてきましたが、キャズさんの通訳は最高ですよ」なんて言われちゃうと「やりぃ〜!」とか思うわよね。
住んでいた実家は、都内まで1時間以上かかる所で、当時は80年代半ば、個人用のFAXがやっと普及しだした時代。いちおうFAX は持っていたけど、でも、私は自分の書いた詩を自分の足で届けたわね。行けば、プロデューサーに会える。ディレクターに会える。他の人にも顔を覚えてもらえる。 わたしは結構、フットワークが良かったから、「デカか君は?」とか笑われたくらい、本当に靴が磨り減るほどだったわね。たった一枚の紙でも、一時間以上かけて、届けた。そうすると相手に、あ?たった一枚のこの紙でも、持ってくるんだって、そんなにやりたいんだーって情熱を感じてもらう。そういうことは、すごい努力したね。でも私は苦労だとは思わなかった。普通は、こんなにやってるのに報われないのと思うのかもしれないけど、報われる為に、こんなに努力してるという風に、私は逆の考え方をするのね。私は、物事の考え方が前向きだから。 よく、「キャズさんっていいわよね。英語ペラペラで」とか言われるんだけど、「だって勉強したもん!」って、言いたい。小さい時から、海外に住んでたとか、環境でバイリンガルになったんじゃなくて、高校2年まで英語なんか大嫌いで、それから勉強して勉強して勉強して、トップレベル通訳のギャラを貰える所まで来た私は、これまでの努力があって、今があるから。「たたき上げのバイリンガルです」って、自分のことを言ってます(笑)。
私は、やっぱり、自分で自分への投資をしてきた努力があるわけで、突然たなぼたで、今の場所にいるわけじゃない。だから昔、ある人が私に、「適当にみつくろって、使えそうな英会話のフレーズが載ってる本を買ってきてよ。キャズが独学で英語を勉強した時みたいに」と言われたときに、「そういうヤツは私が買ってきてあげても、パラパラってみて、本棚に突っ込んでNEVER本を開かないから、やーだよー」って言ってやったのね。「ははっ、そりゃそうだ」と言われたね。自分から本屋に行く努力すら怠るヤツは、絶対本を開かないし、覚えない。
本を書くにしても、一冊くらいは誰にでも書けるけど、その後、続けて本を出すというのは、自分の努力によると思うのね。一番大切なのは、自分のやりたいことをみつけることだけど、私のように小さい頃の夢は学者になりたかったけれども、巡り巡って物書きになるケースもあってもいいんだよね。 本を開かないし、覚えない。 だから、何かやりたいものを見つけられるのは若い方がいいと思うけど、それでも目の前にあるものを一生懸命やってきたら、やっぱり、やってきた事というのは自分の中の財産になっていくから、絶対無駄にはならないと思うし、いろんな形で役に立つと思う。 キャリアを持たないにしても、主婦にしても、それでも生活の中でも知恵とか、子供に与えていくことは経験から生かされるはずなんだよね。私、日本人のママの会とか、いろいろ統括しているんだけど、「キャズさんは仕事があっていいわね」とか言われると、仕事をしているから偉いんじゃなくて、母親としても"世界一の母親"を目指せば、それはそれで素晴らしい仕事だと思う! だから、自分の環境の中で、何が自分に出来るか、どうしたら自分を高めていけるかという意識を持って生きていけば、本当に専業主婦でも、最高の主婦してみせるわって思えば、すばらしい目標だと思う。
私は、こんなに仕事をするけど、毎日の食事は、みんな手作りだし、女として家事ができないのは許せないの。ある有名シンガーソングライターの人なんかは、「私は天才だから家事しない」って言っているけど、人は人。それぞれでイイと思うんだけど、私自身は、きちんと家事をしたいのね。これは専業主婦だった母の影響だと思う。 それと、作家であるキャズ・カワゾエを自由にしてくれる、夫。私が一番私らしく、自宅では、ぼ?っと気を抜いて、精神的にもっともリラックスさせてくれる、パートナーでいる夫。 人から見ると、私なんかすっごくいっぱい仕事もしてるし、エネルギッシュだから"パワーの塊"だと思われていて、パワー頂戴とか言って友だちに腕を掴まれて、エネルギー充電とか言われたりもするんだけど。でも、私はいつもそれだけじゃ疲れちゃうし、小さい頃から胃潰瘍になったくらい見た目とは想像もつかないくらい繊細で、あげくに神経性胃潰瘍で血を吐くような子だったから。家にいる時はすごく無防備に"素でいたい"。そういったことを、全部ひっくるめて受け止めてくれている人間が自分のパートナーだから、すごく楽。だから家にいるの好きだし、すごく気楽で、家事とかも出来るんだよね。
何でも自分で決めたことというのは、人のせいに出来ないでしょ。全部自分で責任かぶらなきゃいけない。これはつらいこと。誰かのせいして生きていきゃ人生楽だもん。私はそれはしない。何かをやって、それが結果的にはうまくいかなくても、そこから何か学ぼうよ!決めたのは自分だからさ!
最新刊の「ママがはじめて♪歌って聞かせる英語のうた」が好評だったら、第二弾を書いてるかも。でも将来は、TVドラマや映画の脚本を書きたいので、10年後には、自分の脚本がTVか映画化されて欲しいです。 後は、今と同じ、子どもと一緒に、母子教室いったり、図書館とか公園に行ったりとかしながら、年に数冊の単行本を書いて、毎日ご飯を作ってるって感じかな。あと、これは親バカな夢なんだけど、上の子は生後9ヶ月でBABY GAPのキャンペーンモデルで世界中のポスターに出て、Disney、MACY'SやNORDSTORMなどの高級デパートのモデルもやっているから、彼女の活躍を本にして出せたらいいなと思ってる。 インタビュー後余談お仕事以外にはどういった時間の過ごし方をするのでしょ
うか?趣味、生き抜きの仕方など。
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