アメリカ生活情報 アメリカ生活情報
  アメリカ生活情報 HOME(世界各都市)    ★アメリカ生活情報 ★JINAは非営利団体(NPO)です ENGLISH  | メーリングリスト | JINAに投稿する | よくある質問  
アメリカ生活情報
Google
デザイン・文・インタビュー:内田 麻衣子


―― 小さい頃はどんなお子さんでした?

キャズ・カワゾエさん 小さい頃は真面目な子でしたね。小学校1年の時、図書館の本をたくさん読もう運動みたいのがあって1日1冊は読んでたり。私の小さい頃の夢はスチュワーデスだったけど、小学校二年の時にキュリー夫人の自伝を読んで以来、将来はノーベル賞をとれるような学者になろうと決心して。。。

父が衛生工学の権威で、日本の沢山の大学の教授を歴任していたので、その影響があったでしょうね。それから、親に顕微鏡を買ってもらってプランクトンを卵から孵して、夢中になって観察日記を書いているような子だったなぁ。中学校の時から物を書くのが好きで、読売新聞の小学校の作文コンクールで賞を貰ったり。中学二年の時に、「変人文学」というミニコミの雑誌を立ち上げて、編集長をやって、文化祭で売ったりね。あと、小学校の時から漫画を書いていて、中学校の卒業記念に生徒がいろいろ卒業作品を展示して、他の子はセーターとか編物をだしていたんだけど、私は20ページの漫画を展示した思い出もある。私、まだその原稿を大事に持ってるもの。

そんな感じで、昔から物語を書いたりするのは好きだった。元々、友だち達と何かやるのが楽しくてね〜。「変人文学」は、アメリカに留学する高校2年まで続けました。「変人文学」は、クラブ活動でなくて、同好会だからクラブ活動費がでなかったけれども、生徒達にはすごい人気で、参加希望者が多くって大変だったから、偉そうに、面接でメンバーを選んでたりしたものよ。


―― なんでまた「変人文学」って名前なんですか?変人でないと入部できないとか??(笑)

キャズ・カワゾエさん いやいや、それがちゃんと理由があって、私が行ってた高校は女子高で、姉妹校の男子校の先輩達が「奇人クラブ」というミニコミ誌を作っているのを知って名付けたの。ただ、それだけのことなのよ。だけどね、20何年たった今でも、母校で続いているらしいの。もう私、びっくりしちゃった!


――理系と文系が両方とも好きだったんですね?

キャズ・カワゾエさん 書くことも、ずっーとやってきて好きだったんだけど、私の夢はさっきも言ったように、キュリー夫人のような学者になることだったの。だから高校に入る前に父に相談したら、父が、「物を書いたりすることは、一生趣味でもやっていけるけど、学者になるためには、きちんとした教育を受けないといけないよ」と言ったんですね。つまり、学者になることを諦められるのなら、文系を選べば良いと。私は、それは最もな事だと思ったから、教育を必要とする理系を選んだんです。


――アメリカに最初に来たのは?

キャズ・カワゾエさん 1976年、高校一年の夏休みにUCLAの語学学校に3週間来ました。私は、実はすっごい英語が嫌いな子で、でも国際的な人間に育てたいとは親が思っていて、語学留学させられたんです。イギリスとアメリカ両方に申し込んで、でも結局はアメリカを選んだんだけど。あれで、イギリス行ってれば、違う人生を歩んでたでしょうね・・・。


―― その時は何故、イギリスでなくアメリカを選んだんですか?

キャズ・カワゾエさん 選んだのは、うちの母(笑)。それくらい、私には、留学先にこだわりはなかったの。だけど、語学学校の3週間の滞在中に、英語嫌いだった私もすっかりアメリカが好きになっちゃって、自分の意志でちゃんとアメリカに来たいと思ったのね。それで、日本に帰って両親に相談したんだけど、母親はやっぱり女の子だし心配だから、あまりいい顔はしなかった。でも父には「やりたいんだったらやればいい、自分で全部手続きとかやるんだったら、お金は出してあげてるから」と言われたの。

1976年、私はまだ16歳で、一ドル360円の時代で、海外旅行がステータスの時代だった。今みたいに留学がポピュラーで、留学案内書や相談所がありふれているわけでなかったから、16歳の女の子が個人留学のつてを探すっていうのは、生半可なコトじゃなかった。それでも、海外留学を斡旋する会社が東京にあるのを見つけて、問い合わせをして、父に「帝国ホテルの中にある会社で面接があるから、お父さん一緒に行って下さい」と言って連れて行ってもらったんです。 当時、住まいは大阪だったんだけど。


【略歴】 1977年にロサンゼルス郊外のハイスクール、Flintridge Sacred Heart Academy(フリントリッジ聖心学園)に単身留学。1984年 USC在学中にイギリスのアイランドZEレコードと契約して、作詞家/歌手としてヨーロッパ、およびアジアでデビュー。その後、日本に一時帰国し、タレント/作詞家として活動。 1989年再び渡米。休学中だった大学に戻る。ロサンゼルスを拠点とし、日本のラジオ番組(Nac 5 FM埼玉・L.A.録音)のDJなどをしながら、音楽専門誌のジャーナリスト、雑誌の連載コラムなどをかかえ、執筆業を開始し、現在著書は13冊にも上る。ロサンゼルス在住。HPは http://kazkawazoe.com/
【著書】
「アメリカの愛の詩(うた)〜ヒット曲を英語で聴く」(1995年 講談社) 「キャズ・カワゾエのアメリカン・ライフ・レポート 留学・就職・生活事情」(1996年 三修社)「カードに使える、小粋な英語フレーズ」(1996年 明日香出版社)「留学お役立ちボキャブラリー」(1997年 三修社)「通じる英語50講 もうちょっとであなたの英語が英語らしくなる」(1999年 明日香出版社)「ネット・E メールにすぐ使えるセレクト英語表現340 」(2001年 明日香出版社)「生き方が豊かになる 英語のことば」(2002年 明日香出版社)「レター・カードに使える 英語のことば」(2002年 明日香出版社)「ブリジット・ジョーンズのように生きる 英語のことば」(2002年 講談社)「アメリカ留学 絶対すぐに! 役立つ英単語」(2003年 三修社)「TVドラマで アメリカ・ウオッチング」(2003年10月発売 スクリーンプレイ社)「はじめて英語SONGを歌ってみる♪」(2003年11月発売 明日香出版社)


―― 面接ってどういうことを聞かれるんですか?

キャズ・カワゾエさん 留学斡旋会社のアメリカ人に英語で面接されるの。それで、どれくらいの英語力があるかをみて、語学学校に進むか、それとも高校に直接留学出来るのか決めるんです。私の希望は最初は語学学校に行って、それから高校にいきたかったんだけど・・。ところが私、自分が留学したかったから、留学をする前に1年間独学で日本の高校に通いながら、英会話をマスターしていたのよ。


―― えっ、1年で!それも日本の高校に通っていながら、どうやって英会話をマスターしたんですか?

キャズ・カワゾエさん 例えば、高校生が大人向けの英語の本を読んでもしょうがないので、本屋に行ってパラパラと読んでみて、日常生活に使えそうなフレーズが詰まっている本を買って、一回読むでしょ、それから本にアンダーラインして、次にもう一回読んで、その時には本から抜粋して、小さめのノートの左側に英語の日常会話フレーズ、右側にその日本語の訳を書いていって、読んだ本から自分だけのフレーズ集を作っていたのね。そうして、結局7冊の英語の本を読破して、その中から自分が使えるものだけを選んで抜粋した、独学英会話ノートを作ったの。

そのノートをいっつも制服のポケットに入れて、休み時間とか通学時間とかに読んで読んで、ボロボロになるまで読んで、英語フレーズを丸暗記したの。また、満員電車では窮屈でノートを読めないから、目につくものをぜーんぶ、頭の中で英訳していったの。「あの人かっこいいな〜」とか、「あっ、赤い帽子を被っている人がいるな」とか、窓の外見て「今日は天気がいいな〜」とか・・・。

とにかく目につくもの、出来るだけ英訳していったの。すでに英訳出来るだけ、自分の中にすらすらと出てくるボキャブラリーが、本の中のフレーズを暗記したことで、出来上がっていたから。実際の会話ではなくて、一人で、自分の頭の中で英文を組み立てるのだから、時間はいくらでもあるわけでしょ。とにかく、色々なシチュエーション、会話を想定して、英文を作ってました。

そういう練習は、英訳出来るだけでも自分に自信がついてくる。でも、それでも訳せない、自分の英語力では表現できない言い回しとか単語とかは必ず出てくるわけで、そのときは、また家に帰って辞書を引いて、ノートに書き足して、覚えていくわけよ。

そうやって私は、1年間で日常会話が出来るようになりました!

当時は同級生に言われたわよ、「ま〜た、英語やってんのぉ〜、好きねっ〜」て、飽きれられるほどに毎日毎日毎日毎日、英語の勉強してたの。そうやると1年で独学で英会話を身に付けることができます! 高校の1,2年で私は実際にやってきたんだから! 理論としては理にかなったやり方でしょ、そうやって覚えれば! ヒアリングとかはNHKの英会話や、ラジオを聞いたりしていたけど。私の方法だと、ヒアリングよりもスピーキングが先に出来るようになった。

だから相手のいうことが半分しかわかんなくても、「こういうことを言ってますね?」と自分の言葉で、聞き返せたのね。そうすると、相手が「いや、そうじゃないよ」とか、「その通りだよ」と、お互いの理解が深まって会話は成り立つ。だから、渡米してからは、どんどん英語力に磨きがかかったわ。

そうして留学まえに、独学で英語をある程度身につけていたので、私がアメリカ人の面接官と話した時は、私は最初は語学学校に行きたいと言ったのに、「あなたは十分会話が出来るからOK!」と、幸か不幸か、ダイレクトにハイスクールに入りなさいと言われたんです。


――それじゃ、いきなりアメリカでの英語の高校の授業は大変だったですよね?

キャズ・カワゾエさん 中学校と高校で母国語で習っていても、わからないことは、ちんぷんかんぷんじゃない? それを英語でやらなきゃいけないわけだから、ほんとに大変だった。 高校2年の1977年にアメリカに一人で渡ったんだけど、私が行った学校は全米でも屈指のプレップスクールで、超御嬢さん校の超受験校だったの! 普通は留学生は1学年下げられるきまりで、私は高校2年で編入したから1年生に入るべきだったんだけど、なまじっか英会話の勉強してきちゃったわけで、ダイレクトに2年に入れられちゃったのね。 アメリカの高校っていうのは、高校を卒業したいだけの人、二年制カレッジに行く人、四年制大学に行きたい人の、3つにカリキュラムが別れるの。高校を卒業するだけだったら2年分の数学をとればよくて、GEOMETRYでもALGEBRAでも何でもいい。でも、私みたいに4年制の大学に進学したければ、3年分の数学をみっちり勉強しなければいけないわけ。私はカリキュラムを組む先生に、4年制大学でサイエンスを目指したいとはっきり言ったのね。

それって、片言の日本語しか出来ない子が、たまたま有名な日本の進学校に行ってさ〜、東大理学部とか慶大理学部と行きたいです、とか言ってる様なもんだったのよね。余りにも、無謀な進学希望だったわけ。だから、先生は「わかった。あなたが、学者になりたいのはわかったけれど、アメリカ人でも大変な4年制大学を受けるのは無理があるから、まずジュニアカレッジに行きなさい」と言われたわけ。でも、私も頑固で4大にストレートで行きたいと言い張ったから、先生も「この子も、ダメだったら諦めもつくだろう」と思ったらしく、私のためにSOLID COURSEを組んでくれたのね。だから、高校2年の時にENGLISHTと US HISTORY、3年生の時に、ENGLISHU、Vと、レベルの違う英語クラスを同時に取って、科学も数学もとって、アメリカの高校卒業とアメリカの4大に入るための必須クラスを全て、2年間で取らなきゃいけなかった。


―― 日本の高校でとった単位はトランスファーできなかったんですか?

キャズ・カワゾエさん 日本の単位も、少しは認められるけど、こっちの4年制だと、アメリカで取得した単位が要求されるの。「アメリカ史」とか、国語である英語を3年分とか。

だから、US HISTORYの授業でもESLで教えるのと4年制大学に行く為のクラスとは全く授業内容が違ってて、私の行ったハイスクールの高校2年生ようの教科書は、USCのフレッシュマンと同じ教科書を使っていたのね。だから後で、ジュニアカレッジに通っていた友達に「キャズさんUS HITORYの教科書貸してもらえますか?」と言われて、私の電話帳サイズの分厚い教科書を見て「うっぎゃー」って言われたぐらい。だから、ほんとレベルの高い高校にたまたま行っちゃったわけ。カリフォルニアのベスト3に入るような超エリート高校だったから。その学校のレベルの「アメリカ史」を取ったり、国語、つまり、英語のクラスも、私は2年生から入ったら3年分の英語の授業を2年間で習得して、いい成績を取らないと4年制大学にいけなかったのね。


――うわっ、それは大変ですね!

キャズ・カワゾエさん これは忘れられない思い出なんだけど、留学してきてすぐ、ENGLISH I のクラスで、15ページ分明日までに読むという課題が出て、それがこーんな小さい文字で、どんなに戦っても読めなかったりね。私はそれまで基本的に日本の高校で優等生だったから、宿題ができないなんてこともなかったし、私はその上9月1日生まれで、アメリカの学校だと、それだけで一つ年上。でもってENGLISH1のクラスなんて、1年生が取っているから、2つ年下の子と同じクラスなわけ。

なのに、そのクラスの宿題が、夜中まで頑張っても全部読みきらなかったのね。翌朝、その課題から試験が出されたんだけど、横でお化粧して、ガム噛みながらさ〜どう見ても私よりバカそうな年下の子が、アメリカ人であるだけで答えられるのに、私はなんにも答案用紙に書けないわけ。バカそうなんて言うのは失礼なんだけど(笑)。もう、その悔しさっていうのは忘れないわね! ま、そういう悔しさが積み重なって、ドンドンバネになって、猛勉強することにつながるんだけど。

毎日3時頃ごろ学校から帰ってきて、4〜5時は寮の study hour で、みんな勉強していて静かだから、私はその1時間にお昼寝をしておいて、みんながTVとか見に、ラウンジに行っている時間に私は部屋で勉強した。夜11時に寮母の先生が見回りに寮の部屋に来て、消灯になるんだけど、でもトイレの電気は点けていても怒られないから、見回りの後、トイレに毛布を持って行って、便器に座って毎日午前3時くらいまで勉強した。だから、学校の授業の他に毎日8時間は勉強してたわね。

当時、自分で思ったのは、自分は英語のハンディがあるから、アメリカ人と同じ勉強量じゃ勝てない、2倍したら同等になれるかも。だったら3倍勉強しなきゃって・・。1日24時間の中で学校行って、その上8時間勉強してた。学校のスポーツのイベントとかに、「この子は学校のイベントなんか参加せずに、ひたすら勉強ばっかしているから、たまには出なさい」と、寮の部屋から連れ出されても、寮母の先生の目を盗んで、ダッーとまた寮に戻って勉強してたよね。そうやって勉強した結果、3年分の単位を2年で全部取って、成績優秀賞を受賞して、スペイン語ではストレートAだったから最優秀賞で表彰された。それで申し込んだ大学全部に合格して、その中で一番いいUSCを選んだ。

だから、卒業して進学が決まった時は、嬉しいという気持ちよりは、先生方には絶対に無理だろうと言われたことを成し遂げたから、"ざまぁ〜みろ"と思って卒業した。"See what I did"って感じ。その時に、「人間やれば、本当に出来るんだなぁ」と思ったよね! 

でもね、2年間勉強ばっかしていたけど、その隙間に学校のダンスとかプロムにちゃんと参加してたのよ。Promとか、Grad nightとかWinter Ballとかペアでしか参加できないイベントを、全部アメリカ人の彼氏と参加した。だから女子高で彼氏できない日本人留学生に妬まれたわねぇ。日頃、勉強ばかりして真面目だから、先生の受けはいいじゃない? それでパーティーとか行っては男の子にナンパされたりして、ちゃんとハイスクールライフもエンジョイしました。あの2年間の高校生活には、2度と戻りたくないけど(笑)!


―― 一緒に留学した日本人の子もいたんですか?

キャズ・カワゾエさん うん、10人くらいいたけど。当時は海外旅行さえ珍しい時代だから、私みたいに留学したくて来たんじゃなくて、例えば進学校に行っていたけど、成績についていけなくて、DROP OUTしちゃって、金持ちだから箔付け留学で来たとか。あと、高校浪人しちゃってみっともないから、親の世間体のために留学して来た子とか。でもそういう子達は誰も進学しなかったわね。中には、アメリカンスクールから留学した子で上智とか行った子もいたけど。当時は、アメリカの高校を出たというだけで、日本では就職とかには有利だったはずよ。私はキュリー夫人のように学者になりたいと思って、4年制大学に行きたいという夢があったから、そういう留学生の間での嫌な思い出はあったけど、最後に笑うのは自分だと思って、勉強に頑張った。


――USCでは何を専攻したんですか?

キャズ・カワゾエさん 生物科学部で、分子生物学/遺伝学を専攻しました。昔から遺伝学を勉強しようと決めていたから。中学校のときに図書館に行って、誰も借りていない本を借りようと、「人の遺伝」という本を借りたのが、きっかけ。とても難しい本だったけど、凄く感銘を受けて。だから中学の時から遺伝学の学者になろうと思ってたの。着目点は良かったら、あのまま行っていたら、今頃は遺伝学の権威になっていたかもしれないわねぇ・・・(笑)。


――大学での勉強はどうでした?

キャズ・カワゾエさん 高校の時大変だったけど、大学では勉強量が全然違ったわね。大学1年の時に一番仲良かった子がDROP OUTして、大ショックを受けたり、大学二年の時には神経性胃潰瘍で血吐いちゃったりした。良く人に「嘘っ!」って言われるんだけど、本当は私は繊細で寂しがり屋なの・・・。中学校の時に十二指腸潰瘍をしたくらい、一見アクティブな反面、内面はすごい繊細な部分もあって、そういう風に人には見られないから、その分自分で隠している分が大きくなっちゃったのね。 アメリカに一人で来て、いろんな意味で緊張して生きていかなきゃいけないし、自分を守っていかなきゃならなかった。誰も親戚も知り合いもいない町に高校2年で来て、いろんな努力をしてきて、大学に入って落ち着いた21の頃、英語も困らないしアメリカ生活もなれてきた頃に、一気にそれまでの我慢や無理が、体にどっと出てきちゃった。

私は欲張りな性格だから、USCの理学部で勉強しながらも、夜はライブなど行ってちゃんと遊んでいて、ちょっと音楽活動とかも始めて、それがたまたまイギリスのアイランドZeレコードとの契約になって、作詞家/歌手としてヨーロッパでデビューしちゃったの。そうしたら、そのデビュー曲がきっかけで、在学中に日本の「欽ちゃんの週刊欽曜日」と言うTV番組から出演依頼を受け、USCを休学して85年、つまり8年ぶりに東京の実家に戻って、日本でタレントとしての仕事をすることになったの。

その曲は "No Time to Stop" っていうんだけど、84年にヨーロッパで大ヒットして、翌年にアジアですごい売れたの。その頃、日本のディスコいくと、私の曲がかかるとちゃんと振り付けもあって、みんなそれ踊っていたんですって。で、なんとこの年末、20年ぶりに、その曲、コンピュレーションアルバムでの再リリースが決まっています。


―― 元々、日本の芸能界に興味があったのですか?

キャズ・カワゾエさん いやいや、タレントとか歌手になりたかったわけでもないし、たまたま流れの中でそういう風になっていっただけ。なんたって、留学理由が、「キュリー夫人のような学者になること」だったくらいだから。でも、今でもタレントの友達とか多いよ。

まぁ、タレント業はともかく、ものを書くのは好きだったから、「欽ちゃんの週刊欽曜日」の仕事が終わった後は、日本で作詞家になったの。当時はバブルの全盛期だったから、英語のコマソングがいっぱいあって、テレビからラジオから自分の作った曲を聴かない日はなかったわよ。また、当時のアイドルの中森明菜ちゃんとか、森川美穂ちゃんが英語の歌を歌う時の、発音の指導とかもやってた。あと、コマーシャルソングや映画のサントラも書いた。

でもね、日本でそうやってキャリアを築きながら、自分の中では絶対USCを卒業はしたかったの。父親も高額な授業料を払ってくれたわけだし、それにあんなに高校時代勉強して大学入ったわけだから、卒業したいじゃない? 父にも「東大だろうとどこだろうと、1日で辞めても、卒業直前に辞めても中退は中退だから、卒業証書を貰わなければ意味が無い」って言われた。

日本でいろんな意味でSuccessfulだったから、いろんな人に「キャズは、アメリカ帰んなくたって、このまま日本の芸能界でやっていけるじゃん」と言われていたんだけど、私はそういうのは許せなくって、ケジメをつけたくて、1989年にアメリカに再び戻って来たの。渡米前に、日本で、アルバイト雑誌のデイリーanからアメリカ生活を連載してくれませんかと依頼されり、ギターマガジンとか、キーボードマガジンの音楽ジャーナリストとして英語で取材して原稿を書いたり、ナックファイブというFM埼玉の番組のDJをやったり、USC通いながらも仕事もばりばりこなしてた。

USCの学費はバカ高いから父親に出してもらったけど、私はそうやって、日本円を稼いで生活費を作っていた。アメリカに戻って来た頃には、わたしの夢であった学者になることには、既に興味を失っていたのね。元々小さい頃から書くの好きだったじゃない? それで食べていくということになったから、あー私はやっぱりこっちがしたいって! それで巡り巡って、物書きになったの。

90年、USC卒業後は、VISAの問題もあり、アメリカで映画会社や、雑誌の出版社に就職したりしたんだけど。89年から日本の雑誌には連載を書いてて、95年に講談社から書き下ろしの単行本で、文壇にデビュー。それから年に1、2册くらいのペースで本を執筆してる。アメリカに戻って来て、卒業まで一年分程、取らなくちゃいけない単位が残っていたんだけど、いろいろ調べた結果Communicationだとリクアイヤメントが少ないってわかったの。だから、理系から転部して、Communication Arts & Scienceで卒業したんだよね。

通訳の仕事をするという部分では、日本では作家で、アメリカでCommunication Degreeを持っていると「こいつよっぽど言葉出来るな」と思われる。それに私は理学部だったから、医科理科系の用語に精通しているでしょ。心臓移植手術の通訳がありますといったら英語を日本語に訳せるわけ。人体解剖学の講義がありますといったら、横隔膜がどうのこうの、胸骨がどうのこうのというのを血を吐くまで勉強しているから、全部知ってるわけじゃない。

だから、メジャーは卒業前に理系から文系に変えちゃったけど、こうして卒業した後に仕事につながってて、全然無駄になってないと思う。友達にも、「ほんとにキャズって、大学時代に学んだことをCASH INしてるよね」と言われる。(笑)でも、通訳の仕事って、いろんな所に行ってHUMAN DYNAMICの生き生きとした中で人の倍喋って、執筆業とは全く違う能力を使うでしょ。本当に難しい用語をキレイな文章で訳せたときなんか、すごく気持ちがイイわけ。それに、通訳仕事を誉められると嬉しい! 特に専門家に「私は、ほんといろんな通訳をみてきましたが、キャズさんの通訳は最高ですよ」なんて言われちゃうと「やりぃ〜!」とか思うわよね。


―― 今まで、たいへんだったことは?

キャズ・カワゾエさん 何かを自分がしたいために対して行う努力は、苦労だと思わないの。それは自分への投資、インベストメントだと思うから。例えば、自分がアメリカに行きたいために、行って困るのは自分だから、英語勉強しよう、と思ったわけだし。自分が将来、楽するために、今努力するのは、自分の為じゃない?


――日本でどうやって作詞家としてスタートしたんですか?最初から仕事がぽんぽん入ってきたんですか?

キャズ・カワゾエさん そんな、最初から作詞の仕事なんてもらえないわよ。作詞の仕事って良く誤解されるんだけど、詩を書いて持ってきゃいいんじゃなくて、どっかでできた曲を貰って、それに詩をつけるから、曲が先行なのよ。「欽ちゃんの週刊欽曜日」の仕事が終わって、作詞家として独り立ちしようとした時なんか、まだ駆け出しだから、ディレクターから曲の入ったテープ貰って3日以内に詩をつけて来いって言われて、一番いいのが選ばれるわけ。4〜5人でね、競作よ、コンペよ!

住んでいた実家は、都内まで1時間以上かかる所で、当時は80年代半ば、個人用のFAXがやっと普及しだした時代。いちおうFAX は持っていたけど、でも、私は自分の書いた詩を自分の足で届けたわね。行けば、プロデューサーに会える。ディレクターに会える。他の人にも顔を覚えてもらえる。

わたしは結構、フットワークが良かったから、「デカか君は?」とか笑われたくらい、本当に靴が磨り減るほどだったわね。たった一枚の紙でも、一時間以上かけて、届けた。そうすると相手に、あ?たった一枚のこの紙でも、持ってくるんだって、そんなにやりたいんだーって情熱を感じてもらう。そういうことは、すごい努力したね。でも私は苦労だとは思わなかった。普通は、こんなにやってるのに報われないのと思うのかもしれないけど、報われる為に、こんなに努力してるという風に、私は逆の考え方をするのね。私は、物事の考え方が前向きだから。

よく、「キャズさんっていいわよね。英語ペラペラで」とか言われるんだけど、「だって勉強したもん!」って、言いたい。小さい時から、海外に住んでたとか、環境でバイリンガルになったんじゃなくて、高校2年まで英語なんか大嫌いで、それから勉強して勉強して勉強して、トップレベル通訳のギャラを貰える所まで来た私は、これまでの努力があって、今があるから。「たたき上げのバイリンガルです」って、自分のことを言ってます(笑)。

私は、やっぱり、自分で自分への投資をしてきた努力があるわけで、突然たなぼたで、今の場所にいるわけじゃない。だから昔、ある人が私に、「適当にみつくろって、使えそうな英会話のフレーズが載ってる本を買ってきてよ。キャズが独学で英語を勉強した時みたいに」と言われたときに、「そういうヤツは私が買ってきてあげても、パラパラってみて、本棚に突っ込んでNEVER本を開かないから、やーだよー」って言ってやったのね。「ははっ、そりゃそうだ」と言われたね。自分から本屋に行く努力すら怠るヤツは、絶対本を開かないし、覚えない。
自分が何かしたかったら、どうすればそういう風になれるか考えて、その為に行動を起こすべきなのよ。
――若い人たちにメッセージは?

キャズ・カワゾエさん 私はたまたまラッキーな部分もあって、それは運なのかもしれないけど、でもそれをどう自分の将来に反映させていけるかは、常に"行動力"だと思う。私は偶然ヨーロッパでデビュー出来、それから日本でTV出演し、作詞家デビューしたけど、やっぱ努力をしてきたわけだし。 本を開かないし、覚えない。

本を書くにしても、一冊くらいは誰にでも書けるけど、その後、続けて本を出すというのは、自分の努力によると思うのね。一番大切なのは、自分のやりたいことをみつけることだけど、私のように小さい頃の夢は学者になりたかったけれども、巡り巡って物書きになるケースもあってもいいんだよね。 本を開かないし、覚えない。

だから、何かやりたいものを見つけられるのは若い方がいいと思うけど、それでも目の前にあるものを一生懸命やってきたら、やっぱり、やってきた事というのは自分の中の財産になっていくから、絶対無駄にはならないと思うし、いろんな形で役に立つと思う。

キャリアを持たないにしても、主婦にしても、それでも生活の中でも知恵とか、子供に与えていくことは経験から生かされるはずなんだよね。私、日本人のママの会とか、いろいろ統括しているんだけど、「キャズさんは仕事があっていいわね」とか言われると、仕事をしているから偉いんじゃなくて、母親としても"世界一の母親"を目指せば、それはそれで素晴らしい仕事だと思う! だから、自分の環境の中で、何が自分に出来るか、どうしたら自分を高めていけるかという意識を持って生きていけば、本当に専業主婦でも、最高の主婦してみせるわって思えば、すばらしい目標だと思う。


――これまでに自分の人生で影響をあたえた方を3名お聞かせください。またどういう方達で、どのように影響を受けましたか?

キャズ・カワゾエさん 私の将来のディレクションを指導してくれた父。また、"女性たるべき、母たるべき、妻であるべき"を教えてくれた母。

私は、こんなに仕事をするけど、毎日の食事は、みんな手作りだし、女として家事ができないのは許せないの。ある有名シンガーソングライターの人なんかは、「私は天才だから家事しない」って言っているけど、人は人。それぞれでイイと思うんだけど、私自身は、きちんと家事をしたいのね。これは専業主婦だった母の影響だと思う。

それと、作家であるキャズ・カワゾエを自由にしてくれる、夫。私が一番私らしく、自宅では、ぼ?っと気を抜いて、精神的にもっともリラックスさせてくれる、パートナーでいる夫。

人から見ると、私なんかすっごくいっぱい仕事もしてるし、エネルギッシュだから"パワーの塊"だと思われていて、パワー頂戴とか言って友だちに腕を掴まれて、エネルギー充電とか言われたりもするんだけど。でも、私はいつもそれだけじゃ疲れちゃうし、小さい頃から胃潰瘍になったくらい見た目とは想像もつかないくらい繊細で、あげくに神経性胃潰瘍で血を吐くような子だったから。家にいる時はすごく無防備に"素でいたい"。そういったことを、全部ひっくるめて受け止めてくれている人間が自分のパートナーだから、すごく楽。だから家にいるの好きだし、すごく気楽で、家事とかも出来るんだよね。


―― そんなステキな旦那さんと何処で知り合ったんですか?

キャズ・カワゾエさん 私が日本で駆け出しの作詞家だった時に、彼はギタリストだったんです。


――アメリカでライターを目指す若い人たちに一言お願いします。

キャズ・カワゾエさん 努力をすること。人を大切にすること。得に物を書く人間はルーズな人が多いから、約束をしっかり守ることですね。特にフリーランスで物を書いていると、自分と言う個人を守ってくれる「会社」というものがないから、いい加減ヤツだと思われたら1度の失敗で2度と付き合ってくれない人もいるので、ケジメをつけることは大切だと思います。


―― ズバリ、アメリカで成功する方法は?

キャズ・カワゾエさん 物を書くということは、ちょっとでもさぼってしまうと、筆が錆びるから、書き続けていくことです。私は、高校留学してから、ほぼ毎日日記をつけていて、子供が生まれてからも5行日記だけど2、3日おきに書いてる。だから、何かしたいんだったらそれに向けて、少しづつ努力することですね。


―― キャズ・カワゾエさんの座右の銘は?

キャズ・カワゾエさん 努力と挑戦。そして、後悔しない人生ということ。

何でも自分で決めたことというのは、人のせいに出来ないでしょ。全部自分で責任かぶらなきゃいけない。これはつらいこと。誰かのせいして生きていきゃ人生楽だもん。私はそれはしない。何かをやって、それが結果的にはうまくいかなくても、そこから何か学ぼうよ!決めたのは自分だからさ!


―― キャズ・カワゾエさんの1年後は?10年後は?

キャズ・カワゾエさん 1年後は、二人目の子ども(取材当時、臨月)が、まだ歩ける程度だから、キャリア上の進展は、分からない。

最新刊の「ママがはじめて♪歌って聞かせる英語のうた」が好評だったら、第二弾を書いてるかも。でも将来は、TVドラマや映画の脚本を書きたいので、10年後には、自分の脚本がTVか映画化されて欲しいです。

後は、今と同じ、子どもと一緒に、母子教室いったり、図書館とか公園に行ったりとかしながら、年に数冊の単行本を書いて、毎日ご飯を作ってるって感じかな。あと、これは親バカな夢なんだけど、上の子は生後9ヶ月でBABY GAPのキャンペーンモデルで世界中のポスターに出て、Disney、MACY'SやNORDSTORMなどの高級デパートのモデルもやっているから、彼女の活躍を本にして出せたらいいなと思ってる。

インタビュー後余談

お仕事以外にはどういった時間の過ごし方をするのでしょ うか?趣味、生き抜きの仕方など。
観葉植物が好きで、家の中でポトスを育てて繁殖させているので、家にいるポトスはみんな親戚。 家で子育てしながら、執筆活動してるけど、TVを観てもCMの間は次のネタ考えてたりするのよ。すごいスイッチするの速いから、お昼食べて30分くらい昼ねしても、その後すぐに執筆体制に入れるの。私って私生活にスケジュールをちゃんと立てて、こなしていくことに喜びを感じるタイプなのね。だから、わざわざ、coronaビール持ってビーチに行かなきゃ息抜き出来ないような、手間のかかる息抜きはいらない。(笑)


好きな映画ベスト3は?
実話を元にした、フットボールの名門チームの選手になるために様々な努力をする映画「RUDY(邦題:ルディ 涙のウイニング・ラン)」(1993)と「Forrest Gump(邦題:フォレスト・ガンプ 一期一会)」(1994)と「Big(邦題:ビッグ)」(1988)です。


キャズ・カワゾエさんの著書

【関連リンク】
キャズ・カワゾエさんにメールを送りたい方はinfo@jinaonline.orgまで

   JINAから世界で活躍中の”真・国際人”を紹介   ▼バックナンバー▼
1.2002年茂森 政さん障害者の用寄宿舎をバークレーに 2.2003年7月7日中山潤さん本場英国のアロマテラピスト資格を持ちNYで活躍のアロマテラピスト
3.2003年7月12日YUKIKO SATOさんNYでおしゃれなテサゲバッグを販売 4.2003年7月13日藤田理麻さん絵本を持たない国の子供達のために絵本を作って寄付する機関を設立
5.2003年7月19日MAX桐島さんハリウッドで活躍する映画プロデューサー 6.2003年7月26日MICHI YAMATOさんロサンゼルスでヒーロー・アクション・スクール設立
7.2003年7月29日宮崎さおりさんA&PIWCでテストカウンセラーとしてアジア・太平洋諸島コミュニティーに貢献 8.2003年7月27日中村ホームス知子さんLAで活躍するアロマセラピラピスト/フロ−リスト
9.2003年7月26日小野沢昭志さんシアトルで自転車会社Sidetrak,Inc設立,アマゾンへ冒険を続ける 10.2003年8月2日中村健吾さんニューヨークで活躍するジャズベーシスト
11.2003年8月24日丸山 裕子さんロサンゼルスで活躍するジャズピアニスト・作曲・編曲家 12.2003年8月31日Jay Deaiさんロサンジェルスで不動産業に従事
13.2003年8月24日美津子CANNONさんChiQ Healing Artsのセラピストとしてロサンゼルスで活躍 14.2003年8月17日松島めみさんロサンゼルスで指笛奏者として活躍
15.2003年9月8日井上 陽介さんニューヨークで活動するジャズベーシスト 16.2003年9月11日師範 出村文男サンタアナ糸東流空手玄武会総本部会長
17.2003年9月13日鶴亀彰さん在米35年、日米のハイテク企業の国際化を支援する企業をLAで設立、今年新たに世界1周旅行を試みる 18.2003年9月6日飯島真理さんロサンジェルスで活動の音楽家&女優
19.2003年9月18日トーマイタルさんパワーリフティングの元世界チャンピオンで現在セラピストとして活躍 20.2003年9月24日アーク佐野さんロサンゼルスで活躍するジャズピアニスト
21.2003年9月29日加藤典子さん墨絵アーティストとしてアメリカで個展をする 22.2003年9月30日KEIZO TSUKADAさんフィラデリフィアでファーニチャーデザイナーとして活躍
23.2003年10月1日藤森久仁さんロサンジェルスでプログラマーとして活躍 24.2003年10月5日Bill Crowley落語家
25.2003年10月8日藤井郷子さん日本とアメリカで活躍するジャズピアニスト 26.2003年10月15日Christine Rosander ジャズボーカリスト
27.2003年10月18日河合将介さん駐在員を引退後LAでライター、ボランティア活動などセカンドライフをエンジョイ 28.2003年10月19日下浩子さん1999年にONNA.COMを起業し、現在JINAのCEOをつとめる女性起業家
29.2003年10月23日射手園達一さんアメリカで起業する方のための「一旗会」を創設 30.2003年10月30日デイ多佳子さんアメリカで活躍する女性作家
31.2003年11月1日西村昭二さんロサンジェルスで和道流空手道を教える 32.2003年11月4 日外間真清さんハワイ生まれ日系二世の元牧師、夢を抱いて日本からやって来る若者の人情下宿を経営
33.2003年11月9日森 泰人さんスウェーデンで活躍するジャズベーシスト 34.2003年11月10 日ANDY 松田さん寿司学校(Sushi Chef Institute)をLAリトルトーキョーに開校
35.2003年11月11日相原勇さんNY在住の女優・マルチタレント 36.2003年11月13日新倉勝美先生気・呼吸法で癌を治療
37.2003年11月14日堀場 聡夫さんロサンジェルスで音楽の機材を販売する会社を起業 38.2003年11月25 日高田直子さんマリンバ奏者
39.2003年11月27日倉本利夫さん少林寺拳法ハリウッド支部長 40.2003年11月27日羽方美穂子さんニューヨーク美術カレッジに留学中のイラストレーター
41.2003年11月28日やまだ ゆみこさんロサンジェルス在住の漫画家 42.2003年12月16 日トモ藤田さんバークリー音学大学ギター科の助教授
43.2003年12月19日きーじーさん車イスで世界50ヶ国を旅する 44.2003年12月25 日ヨシ天尾さんニューヨークで活動する俳優・武道家
45.2004年1月6日加賀崎雅子さんロサンゼルスの日本語ミニコミ誌「 ブリッジ USA.」編集長 46.2004年1月8日渋谷朋子さん西アフリカで教育関係に携わる
47.2004年1月10日Chieko Yoshimotoさんナース・コンサルタント 48.2004年1月20日 本田 興申さんロサンジェルスで真向法を教えている
49.2004年1月22日SEKUS ROBAのLun*na Menohさんミュージシャン 50.2004年2月9日 RAYKOさんロックバンドDIG JELLY
51.2004年2月10日 菊池好文さんアパレル会社をLAで起業 52.2004年2月12日 MARY ROSEさんコスチュームデザイナー、エミー賞理事メンバー
53.2004年2月13日 野田直人さん国際協力事業団派遣専門家としてセネガルで活躍中 54.2004年2月17日 MINAKO SOMIYA FOTIさん看護婦歴35年
55.2004年2月18日 Sammy Briggsさん倉本先生の元で少林寺拳法拳法を習うLAPDの警察官 56.2004年2月20日 NORIKOさんキーボードリスト&作曲家
57.2004年2月22日 福田YUKIさんナバホインディアンと生活をともにしたこともあり、インディアンと日本の交流に貢献されている 58.2004年2月23日 市川江津子さんシアトルで活躍するアーティスト
59.2004年2月25日 中村佐恵美さんハリウッドで活躍する女優 60.2004年2月26日 伊比 恵子さん元ミス日本、1999年のアカデミー賞の最優秀短編ドキュメンタリー賞受賞、監督
61.2004年3月8日 林 龍介さんパリで巨匠ピーター・リンドバーグの第一アシスタントを務める写真家 62.2004年3月9日 早川千晶さんケニア・ナイロビ在住のライター
63.2004年3月10日 美智子パンピアンさん世界の平和をうたうWorld Peace Project for Children創設者 64.2004年3月16日 マイク伊藤さんブランソンでカントリーミュージック
65.2004年3月17日 片山武彦さんビバリーヒルズで歯科技工士 66.2004年3月20日 溝口弘恵さん作家「ハーレム日記」
67.2004年3月22日 Mike BarretteさんXbox game artist 68.2004年4月7日 Jason YuさんTechnology Instructure
69.2004年4月10日 藤原敏江さんサンフランシスコでダンサー 70.2004年5月4日 神戸俊平さんケニア在住。獣医師・NGOとして、野生動物保護・象牙取引反対運動・環境問題・エイズ問題などに取り組む
71.2004年5月8日 中村かおりさんシアトルでバレリーナ 72.2004年5月12日 キウイア悦美さん日本にいながらケニャ・タンザニアに二十数年通い、WEBサイトを運営
73.2004年5月13日 知香子パワーズさんハワイ在住、コーディネーター、ダイビングインストラクター、ボディセラピスト 74.2004年5月15日 新間美也さん調香師として日本とパリを往復する
75.2004年5月16日 大川ミセさんパリ在住のOL作家 76.2004年5月24日 藤井仁美さんイギリスに住む日本人獣医であり、ペットの行動カウンセラー
77.2004年5月25日 Tony Cortina倉本先生の元で少林寺拳法拳法を習うSWAT 78.2004年5月26日 三浦たつこ さんLA在住のクロスカルチャーコンサルタント
79.2004年5月28日 永松真紀さん年間300日以上は世界中を旅しているケニア在住、添乗員ツアーコーディネーター 80.2004年6月1日 高松良幸さんロサンジェルスで弁護士として活躍
81.2004年6月7日 Yoshiko McFarlandさんサンフランシスコ在住で地球語を広めている 82.2004年6月9日 斎藤幸喜さんCA、NY、日本で公認会計士の資格を持ち、会計事務所を起業
83.2004年6月12日 飯盛敦博さんシンガポールで起業、SOHOアジアを設立 84.2004年6月27日 入江健二さんリトルトーキョー入江診療所
85.2004年7月16日 Michael Mullins倉本先生の元で少林寺拳法拳法を習うLAPD 86.2004年7月20日 幸泉久子さん医学博士
87.2004年7月21日 JOEY CARBONE多くのJPOPを手がけるプロデューサー、作曲家 88.2004年7月30日 二城永子さんハリウッドで活躍するモデル・女優
89.2004年8月11日 すずきじゅんいちさん映画監督 90.2004年8月19日 Michelle Hartさん日本に10年すんでいたハリウッドで活躍する作曲家・プロデューサー
91.2004年8月24日 大見和宏さんUCLAで活躍されている研究者 92.2004年8月27日 大森憲治さんタンザニアのレンジャーに留学ツアーガイドや撮影コーディネーター、キリマンジャロ登山ガイド
93.2004年9月9日 Yoshi OkamotoさんメルローズでHIPHOPのお店を経営 94.2004年9月22日 水野 穣さんロサンゼルスで商社勤めから思い切って起業、そして成功
95.2004年9月25日 柴田武次さん教育者そして画家 96.2004年10月8日 キャズ・カワゾエさん作家・技術通訳
97.2004年10月10日 トシコ・ムトー さん
LA在住の漫画家で「小さな恋人」の作者
98.2004年11月9日 渡辺啓子さんNY在住画家&画廊オーナー
99.2004年11月19日 鈴木弘子 さん
日本人初、プロアメリカンフットボール選手
100.2004年11月24日 富田早苗さん3年連続オークランドのNBA、ゴールデン・ステイト・ウォリアーズのダンスチーム
101.2004年11月30日 愛場美和さん
LA在住女性起業家
102.2004年12月13日 古見直子さんNYでアニメ業界のマーケティングリサーチ
103.2004年12月24日 慧岳夢中さん
SF在住の僧侶、シェフ、アーティスト、ヒーラー
104.2005年1月28日 吉川マルヒナ陽子さん NYで活躍するベリーダンサー
105.2005年2月10日 トシ・カサイさん
LA在住サウンドエンジニア
106.2005年2月20日 木村基子さん NY在住の『笑っていいとも!』の元プロデューサー
107.2005年3月1日 弦本將裕さん
個性心理學研究所所長(動物占い創始者)
108.2005年3月18日 Sammy Fujimakiさん LA在住の元ギタープレイヤー、ウェブ・デザイナー
109.2005年3月25日 山口憲和さん
LA在住のHRコンサルタント、専門は人事制度設計
110.2005年3月28日 渡辺千賀さん シリコンバレーでコンサルティング会社を起業
111.2005年3月29日 田上 潤さん
シドニー在住の写真家・グラフィックデザイナー
112.2005年4月25日 松田暁博さん シリコンバレーで半導体の設計を手がけるエンジニア
113.2005年5月7日 上野隆博さん
NY在住のソロ・パントマイムダンサー
114.2005年5月15日 Maco Nishidaさん SF在住画家、版画家、ハンドヒーラー
115.2005年5月25日 小澤 智子さん
UCSFで脳腫瘍のリサーチをする脳外科医
116.2005年6月1日 土屋 美佐子さん LA在住の Certified Alexander Technique teacher、Tai Chi、Qi Gong
117.2005年6月8日 本宮陽子さん
NY在住のグラフィックアーティスト/版画家
118.2005年9月7日 戸谷茂山さん アメリカの建設業界でコンストラクション・マネジメントを手がける
119.2005年9月12日 長谷川和美さん
ABAサンノゼスカイロケッツのオーナー
120.2005年10月7日 鶴田育子さん 文筆家/カウンセラー
121.2007年5月31日 松本大輔先生
大山空手 松本道場
122.2007年5月31日 Mika Somaさん LA在住アーティスト
123.2007年6月11日 YOHEI OTSUKAさん
LA在住起業家
124.2007年7月9日 HIDEMIさん NY在住陶芸家
   知られざる偉人
朝鮮戦争の中1万人の傷ついた戦争孤児たちを救援した一兵卒・・ジョージF.ドレイク博士
   JINAから企業ニュース
パワフルなアマゾンの薬草ウンニャ・デ・ガト・・信じられないほどの即効力
ウンニャ・デ・ガト関連記事(The Bellingham Herald )NEW
   ●特集●氣・呼吸法でヒーリング  新倉勝美先生
2004年4月16日にニューヨーク国連本部ビルにて国連職員の為のクラブ(UNSRC Enlightenment Society)の一環として行われた新倉先生の氣のワークショップ

JINAについて | スポンサー | ボランティア募集 | About Us | プレスリリース | ポリシー | ご意見・ご感想 | リンクフリー | 相互リンク


Copyright © 2002-2010 JINA Organization Inc. ALL RIGHTS RESERVED.